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甲州道中 48 塚平の一里塚から御射山神戸の一里塚まで
2010 / 06 / 28 ( Mon )
3 非舗装の道を行く甲州道中13日目。富士見駅で待ち合わせて、前回歩いた塚平の一里塚まで、上りの道を1.2キロ歩く。今日は13キロと歩く予定の距離も短いのでゆったりスタート。雲が多いものの、青空で気持ちがいい。
塚平の一里塚からまっすぐの街道は消滅しているので、やや先の道を行く。なぜ古道が消滅したのかと思ったら、右手、かって古道があった一体は企業の所有地になっている。その時、道が付け替えられたのだろうか。かっこうの声を聞きながら舗装していない道を歩いていくと600メートルほどで舗装道路に合流して、「原の茶屋」の地名が出てきた。
右手に中部電力富士見変電所を見て歩いて行くと、右手に富士見公園がある。

11 富士見公園この公園の設計者はなんと、俳人の伊藤左千夫。富士見町はアララギ派と縁が深いらしく、公園内にはし真木赤彦、斎藤茂吉など多くの句碑がある。また、この公園が甲州道中の最高地点として標高965メートルの表示がある。穂見神社も公園の敷地内の含まれているようだ。


35名取家と常夜灯富士見公園を出てちいさな四つ辻を越えると右手に明治天皇駐蹕之處の碑があり、そのすぐ先には御膳水の碑がある。しかし、この御膳水、今は用水が流れているだけだけれど、まさか用水が御膳水では?
このあたりは原の茶屋の集落で昔の風情が残っている。右手あるこのあたりで茶屋を営んでいた名取家の前には常夜灯がある。

39 古道を教えてくれた婦人その先で家並などを写真に撮っていたら、「甲州街道を歩いてるんですか?」と声をかけられた。ご主人が土地の歴史を調べたので、と地図にもガイドブックにも出ていない10メートルほどの昔の道を歩くように、と教えていただいた。さらにその先にも古道の痕跡がありますよ、と教えていただき、探していたら、またトコトコ歩いてきて、林の中を見るように、と言う。確かによく見たら、街道脇の林の中に一筋、平らな道らしき趾があった。
そうか!甲州街道歩きのブログに出ていた「昔の道」とはこの婦人がその人にもきっと教えたのだろう。話を聞いたら、「街道歩きの人には気づいたら教えることにしている」という奇特な方だった。なぜ、ここに金毘羅神社があるのかも不思議だったが、「これは金毘羅参りの帰りの旅人を土地の人が世話をしたらお礼に金毘羅さんの御札を置いていったのが神社の始まりです。」とのこと。こういう土地に伝わる話を聞くのはとても楽しいし、思いがけないことを教えていただけてとっても嬉しかった。
街道はしばらく道なりに続く。右手にあるカゴメの工場が途切れると「神戸」の表示がある。右手の家には表札の代わりに「甲州街道」とある!??親切心なのか郷土愛なのだろうか。
火の見やぐらの先、左手には石仏群がある。道は下り坂で右に急カーブして国道に出る。ここが間の宿の御射山神戸の枡形の名残らしい。国道に出たら、道の反対側で元気そうな土地の婦人が大声でなにか私たちに教えよう、と呼びかけている。またさっきみたいに甲州街道の話を聞けるかな、と友人と急いで道を渡ったら、なんと、この先に政治家の記念碑があるから見ていくといい、とのことでがっかり。親切心にはお礼をいい、そそくさと道を急いでしまった。

65 御柱片づけ
神戸八幡の信号の左手には神戸八幡神社がある。そろそろ一休みしたいな、と神社の境内に入ったら、御柱の法被を着た人たちが何か作業している。早速写真を撮ろうとしたら、邪魔になるのかと勘違いしてあわててのこうとするので、「いえ、皆さんを撮りたいのですがいいですか」と言ったら、今度は整列しようとしてくれた。あわてて「いえ、自然な感じでそのまま作業を進めていただけますか」と声をかけてやっと写真を撮った。話を聞いたら、今日は御柱の御祭の片づけだ、という。「富士見地区の一の御柱」という札がある丸太があったので、「これからこの神社に建てるんですか」と聞いたら、「いやー、置いてあるだけです」と説明してくれた。御柱は諏訪神社の御祭だが、関連する地域は非常に広く、山梨県と接する富士見町から下諏訪のほうまで多くの地区を含んでいるようだ。

76 けやき
街道はこの先で国道と別れて左手の道をとる。分かれ道から300メートルほどで御射山神戸の一里塚が道の両側に残っている。ここの一里塚のケヤキは大木で堂々としている。長い間、てくてく歩く旅人を見ていたのだろう。日本橋から歩いてきて甲州道中では一番立派でよく保存されている一里塚だと思う。
こういう一里塚があると、江戸時代と時空を超えて旅を分かちあっている気がする。

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甲州道中 47 平岡の一里塚から塚平の一里塚まで
2010 / 05 / 30 ( Sun )
明治天皇御野立所趾平岡の一里塚から200メートルほどで右手に登る道がある。甲州道中はこの坂を登って行く。路傍に大正時代の馬頭観世音があり、道がカーブしている。左手、火の見櫓の下に灯篭や道祖神、「甲子」などの石造物群がある。
その先、街道が国道を上から臨むようになるところで下を見ると満開の桜の木に囲まれて碑が立っている。街道から少し離れているがこれが明治天皇御野立所跡。ここで休憩なさるように臨時に東屋などを建てたのだろうか。

机集落
街道はすぐに国道から離れて右手に登り、左にカーブして机の集落を通っていく。こういう国道から逸れている街道は歩きやすく、家々を眺めていても楽しい。
街道の左手、机集落センターの奥には三社明神社がある。このまま道なりに進んでいくと6-700メートルで瀬沢大橋の信号で国道に出会う。ここで立場川を国道の橋で渡って川沿いに50メートルほど戻りまた旧道に入る。

瀧沢の道標瀬沢の集落の中を登っていくと左手に諏訪大明神があり、ちょうど御柱の打ち合わせでもあるのか、揃いの法被を着た人たちが大勢集まっているのが見えた。諏訪大明神への階段から70メートルほどのところに瀬沢の道標が石垣を背景に保護色になってひっそりと立っている。
この石垣の上には西照寺がある。やがて街道は左に右にカーブしてゆるやかに登って行く。途中には馬頭観世音や観世音がある。遠くの山々がきれいに見える。
右手に観世音菩薩、日本回国妙経宝塔などの石造物群がある。やがて坂を下り、また緩やかに登って行くととちの木の十字路に出る。草冠の「子」で「とち」と読むのに初めて出会った。

塚平の一里塚
とちの木の十字路からさらにまっすぐ進んでいくと300メートルほどで右手に尾片瀬神社がある。近くには第六天、まゆ玉神社の石碑、道祖神など多くの石造物群がある。神社からさらに道なりに歩いて行くとまた右手に石造物群があり、その先に寛政年間に植えられた赤松の風除林が街道に直交してある。このあたりは開けているので相当風が強かったようだ。
この風除林から200メートルほど先に塚平の一里塚がある。この一里塚も右手に一基残っているので嬉しい。街道はこの先で突き当たりになり、直進していた道は残っていないので、左折することになる。
私たちは今日はここまでの予定だったので、ここから1.2キロほど歩いて富士見駅に向かった。


今回歩きながら気づいた下水の蓋。左から「武田の里(韮崎市)」、「北杜市」、「白州町」、「富士見町」。
武田の里 北杜市 白州町 富士見町

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甲州道中 46 真福寺から平岡の一里塚まで
2010 / 05 / 29 ( Sat )
応安の古碑真福寺の前から左手に進み、川を渡って歩いていくと右手に石造物群があり、その中の一つ、何かの台石に「応安」の年号が刻まれている。そのすぐ先、左手には庚申塔などがまとまってある。
このあたりから国道20号線に沿った道を歩いていくと、「蔦木宿」の看板がある。
先に進むと家々に「萬屋」「こく屋」などの屋号がついていて、宿場らしさを演出している。
街道の右手に南の(東の)「桝形道路跡」の碑があり、道路が付け替えられていることがわかる。
ここで左手に曲り国道20号線に出る。

蔦木宿国道に沿った家屋の佇まいも宿場時代の名残を留めている。右手に三光寺への参道があり、その先には十五社大明神がある。上蔦木の信号の先の本陣跡には明治大帝御駐輦跡の碑がある。
その先には与謝野晶子の歌碑と水道鉢の碑があり、その先、ガソリンスタンドの向かい、道路の左手に北の(西の)桝形跡の碑がある。

川除古木ここから街道は国道をそれて左に入りコの字を描くようにしてまた国道に戻る。その途中に二十三夜塔や祠があり、その先に川除古木が立っている。
川除木(かわよけき)とは初めて聞く名前なので何だろうか、と説明を読んだら、宿の上の入口付近に作られた信玄堤とともに水害から地域を守るために植えられた木のことだそうだ。
古代、川成地(河川敷や洪水で川になってしまう土地)非課税だったのものそのためだろう。
さて、また国道に出て進む。歩道がなくて歩きにくい。少し歩くと左手に川沿いの静かな道があったので、本来のルートの国道からそれてこちらを歩くことにした。車も殆ど通らず、見晴らしもよくて歩きやすい。また国道と合流するところに庚申塔など石造群がある。

平岡の一里塚

ここからはまた国道を歩く。あたりはちょうど桜が満開で青空にピンクの花が映えている。国道を400メートルほど歩くと、国道の左手の下から大木が伸びているのが見える。これが平岡の一里塚で、国道から見下ろすと塚も残っている。
久しぶりに碑ではなく、現存している一里塚を見て街道旅らしさを味わった。

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45 来福寺から真福寺まで
2010 / 05 / 25 ( Tue )
もみじの新緑(紅)来福寺の先、国道沿いに本陣跡(川西家)があり、明治天皇御小休所址の碑がある。かってはこの本陣の両側にそれぞれ問屋場があり、高札場もあって宿場の中心地だったようだ。
街道はすぐ先で国道と別れて右手の道を行く。街道の左手には家々があるが、右手ははるか下方に水田が見える。ちょうどもみじの芽吹きで赤いもみじの新芽が初々しくて青空に映えていた。

諏訪神社 彫刻250メートルほど行くと左手に諏訪神社がある。拝殿の後ろにある本殿は江戸時代に建てられたもので彫刻が素晴らしい。ただ、残念ながら保護のため囲われているので近寄って見るのが難しかく、写真を撮るのに四苦八苦してしまった。
諏訪神社の先には「明治天皇御田植御通御覧之址碑」が立っている。これを読んだとき、意味がよくわからず「?」だったが、要するに輦の乗って通行しながら、はるか下で田植をしているのを御覧になった、ということだろう。中山道を歩いても甲州道中を歩いてもいたるところ、明治天皇が通過したという碑がある。この巡幸の目的は民情視察だというが、乗り物に乗ったまま、はるか下で行われている田植を見て民情がわかるのだろうか?むしろ徳川の幕藩体制から明治新政府になったデモンストレーションの意味合いのほうがずっと濃いように思える。

春の準備加久保沢橋を渡ると上教来石に入る。少し行くと左手に明治天皇御膳水跡の碑がある。そこから200メートルほどで20号線に出るが、すぐまた右に道をとる。街道の右手では男性が数人、水田の手入れをしていた。まだどの田も起こしていないので、これから共同で作業をするだろうか。


目に青葉・・・右手に山口スクールバス停があるところを左手に曲って国道に出ると芭蕉にも多くの影響を与えた山口素堂の句碑がある。ここ、山口は素堂の生誕の地とも言われている(異説もある)ので、あの有名な「目に青葉山ほととぎす初鰹」の句碑が立てられている。
また街道に戻り大目沢橋を渡ると甲州に24箇所あった口留番所の一つで信州口を見張った山口の口留番所跡がある。街道はここから800メートルほどでまた国道20号線に合流して釜無川を渡ることになる。
今の国道20号線にかかっている新国境橋は新しく、実は古い国境橋が残っていて、歩いてなら渡れる、と昨夜ペンションのオーナーが教えてくれた。しかも道も残っているという。そこで国道にあるコンビニエンスストア(ここにも素堂の句碑がある)でお昼用のオニギリを買って国境橋を目指した。

感電防止策川を少しさかのぼるようにあるくと、昭和4年竣工の古いコンクリートの橋があったので橋を渡る。渡るとすぐサル除けの感電防止柵があった。一見したところ、どうやって越えるのだろうか?と思ったがよく見るとポールをはずしてまた元に戻せるようになっている。う~ん。これはサルにはできなくて人間にできることなのだな、と思いながら柵を越えた。

ちょうど溜池があり、サルも来れないし、国道に出る前にお昼にしよう、と溜池の土手に腰掛けて休憩。日差しが気持ちよくて長閑でお昼寝をしたくなるような雰囲気だが、残念ながら溜池の土手は急斜面で油断すると落ちそうになる。
昼食後、下蔦木の信号で国道に出た。少し先からまた国道と分かれて右に道をとる。ここは上り坂。右手には日蓮の高座石や風化した道標があり、古道の面影を残している。やがて右手に真福寺がある。

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44 自元寺から来福寺まで
2010 / 05 / 23 ( Sun )
鯉のぼり甲州道中12日目。今日は気持ちのいい晴れ!ペンションのおいしい焼き立てパン、自家製ベーコンの朝食をとり、昨日街道歩きを終えた自元寺まで車で送ってもらった。空には鯉のぼりが微風に揺れて気持ちのいいスタート。
街道は初め下り坂で左手の武田神社の鳥居あたりからまた緩やかな上り坂になる。今日は最終予定地点まで約16キロ、この間で380メートル上る。でも途中には必ずこのような下り坂があるので、下りがあるたびにその分を余計に上らなくてはならなくなる。下り坂のたびに友人と「ああ、もったいない」と言ってしまう。
でも、不思議とこの言葉は山道や野道では出てこない。土の上を歩くのはとても気持ちがよく、足腰への反動も少ないので疲れないからだろう。
前沢自元寺から1キロ余り歩くと右手にスポーツ広場があり、その奥に白須松林址の碑と歌碑がある。平安時代からこのあたりは4キロにわたって松林が続き歌にも詠まれているという。街道を歩いていると江戸時代には多くの松林があったことが分かるが、殆どは明治時代に入ってきた松喰虫の被害にあって消滅してしまったようだ。
松林址を過ぎると前沢の集落になり、蔵造りの家もある。街道沿いに句碑や万霊塔もあり、駒ヶ嶽神社の鳥居を左にみて前沢上の信号で20号線に合流し、濁川を渡る。

常夜灯右手にサントリー白州製樽向上を右にみて歩くと橋から1キロほどで道が二又になる。甲州道中はここで国道と別れて右に進む。この道を進んでいくと左手に大きな松原常夜灯がある。その先、左手には石尊の鳥居があり、すぐ先に国道が見える。
街道は国道に平行して進み、流川橋をわたり鳥居から1キロほどの下教来石の信号でまた国道に合流する。この流川橋を渡ったあたりからかっての教来石宿になる。

地蔵尊
信号を渡り、左手の道に入ると路傍に万霊塔と並んで大きな地蔵尊がある。この地蔵尊、由緒は書いていないが、蓮の台にのったもともと路傍に安置したとは思えない堂々とした像だ。この先に甲州道中分間延絵図に記載されている来福寺がある。


ここまでで、出あった番犬たち。極めつけは4頭小屋を並べた家で、一斉に吠えられてしまった。
見慣れぬ通行人はすべて「怪しい」のだろう。

いぬ いぬ いぬたち
いぬたち

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