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甲州道中 49 御射山神戸の一里塚から木舟信号まで
2010 / 06 / 29 ( Tue )
77 山御射山神戸の一里塚から静かな道を500メートルほど歩くと茅野市に入る。遠くになだらかな山々を望み、街道は車の通行量も少なくて歩きやすい。
一里塚から1.5キロほどでまた国道20号線に合流する。国道は交通量が多くて歩くにくい。

やがて金沢橋を渡り金沢宿に入る。街道の左手奥に泉長寺がある。この門前には御伝馬石(おてつきいし)がある。これは往時宿の上下の入口にひとつづつ置いてあり、参勤交代の殿様往来の時に祝役人がここで手をついたという。関所で旅人が手形改めの時手をついた石、というのは時々見たが、役人が手をついた石というのは初めて目にした。泉長寺の隣の金沢小学校の奥に青柳神社がある、とガイドブックにあったので探す。奥??小学校をぐるーっと回ると確かに「奥」にあった。この小学校の門前には独鈷(とっこ)石がある。この石は飯田藩や高遠藩が参勤交代の時に通行する金沢峠から出土したものだという。

国道の金沢の信号の角には金沢宿本陣趾の碑がある。このあたりが金沢宿の中心だったようで、甲州道中分間延絵図によると本陣は上の問屋と隣接し、向かいには問屋場もあったようだ。

さて、今日のお昼はこの信号を右手に入った温泉、金鶏湯の向かいにある食堂でおそばの予定だったので、お昼の休憩をとった。食事ができるのはここ以外はあと1キロ余先にドライブインが一軒あるくらい。山菜のてんぷらのついたざるを頼んだら、山菜がてんこ盛り。とろろそばを頼んだ友人に半分助けてもらったが、それでも普通の天ざるについてくるてんぷらよりも量が多かった。

街道に戻ってまた国道を歩く。街道の左手には往時を偲ばせる建物が2軒残っていた。

94 近江屋 96 曲木の手すり

一軒目は近江屋。出梁作りの木鼻の彫刻が往時を偲ばせる。2軒目はかすかに松坂屋と読める看板が残っている。こちらは出梁作りの曲げ木の格子が美しい。近江屋は明治時代まで茶屋を営んでおり、松坂屋は安政2年に刊行されている「五海道中再建独案内」に旅籠屋として載っている。

99 馬つなぎ石(馬やど前)街道沿いに歩いて行くと右手に由緒ありげな建物がある。ここが元馬宿だった家で家の前には馬繋ぎ石(高さ30cmくらいの小さなもの)がある。街道の向かい側にもやはり馬繋ぎ石がひとつ残っている。この馬繋ぎ石、東海道でも中山道でも気付かなかったが、ここ、甲州道中や信州甲州では、荷物を送るのに問屋場を通す中継ぎをせず、馬に乗せてそのまま目的地まで曳いていく運送業が成り立っていたことによるのだろうか。馬宿はその馬と人が一緒に泊まれる宿でこれも信州・甲州に多かったようだ。
街道は馬繋ぎ石のすぐ先で右手に分かれる。このあたりが枡形跡だろう。角には「左たかとをみち」の道標があるのは、分間延絵図に「道標」とあるのと場所が一致している。そのまま進むとまた道標があり、その先、左手に如意輪観音堂(はりつけ場所)がある。
田如意輪観音堂の先は宮川に橋がなくて渡れないので川沿いに戻るか、道標から野道を国道に進み、金沢橋で宮川を渡り、すぐ川沿いに右手の道を入って道なりに矢ノ口の信号に出る。信号を渡ったところには権現社と権現の森。ここからは左手に田植を終えたばかりでまだ初々しい緑の田を見ながら国道を歩いて行くと右手に中央本線がせまってくるあたり、矢ノ口から800メートルくらいで左手、川の向こうの木立の手前に一里塚趾が見える。
街道をさらに歩いて行くと左手に常夜灯があり、その先に木舟の信号がある。



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