1 日本橋から本郷3丁目まで
2007 / 11 / 17 ( Sat ) ダウンロード用地図はこちら
右クリックして保存してください ![]() 朝、9時に日本橋の道路原標の前で待ち合わせて、いよいよ、中山道スタート。 昨年は東海道を歩いたが、東海道とは交通事情も宿泊事情も違うので、今回はしっかり計画を立てることにした。 とりあえず、最初のうちはできるだけ日帰り、碓氷峠を越えた先から交通の便が悪くなるので1泊か2泊にすることにした。 日本橋からは、ずっとまっすぐ大通りを歩いていくが、道路の両方に予想以上にいろいろな史跡や説明版があり、オランダカピタンが江戸に来たとき滞在していた長崎屋、人形市で有名な十軒店、石町の鐘など、小説などによく出てくる場所を初めて確認できて面白かった。 神田須田町の大きな交差点から道がやや細くなり、中山道が通っていた筋違橋は今はないので、昌平橋を渡る。 江戸時代は昌平校(湯島聖堂)が道路の北側まで一部あり、中山道はここで神田明神の鳥居の中を入り天野屋ですぐ直角に折れてもとの道に戻る。 まだ、もとの道を進むと、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」で有名なかねやすのある、本郷3丁目に出る。 かねやす 享保年間(1716-1736)に兼安祐悦という歯医者が本郷3丁目(今の店舗の向かい)に店を開き、「乳香散」という歯磨き粉を売り出して人気を得た。 享保15年(1730)の大火の後、家を再興するとき、本郷3丁目から南は、耐火の土蔵造り塗屋、屋根は牡蠣殻ぶきにし、板や茅葺きは固く禁じられた。 このため、本郷3丁目を境にして町並みの様子が違い、この境目のかねやすの土蔵造りが目立ったようである。 そこから、「本郷もかねやすまでは江戸のうち」という川柳が生まれた。 スポンサーサイト
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