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120 柏原から八幡神社まで
2009 / 03 / 17 ( Tue )
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柏原から八幡神社まで
中山道通算32日目。ホテルから長浜城の前を通って長浜駅へ。今日はお昼食べるところがなさそうなので朝、お昼用におにぎりを買って長浜から電車で米原へ。帰りは米原から新幹線なので、米原駅のロッカーに不要な荷物を預けて身軽になって柏原へ。柏原の駅から中山道まで戻り、再スタート。今日は最初雨の予報だったが、曇り、午後から晴れの予報となり、嬉しい。

伊吹堂亀屋柏原宿の家並みは保存の意識が高くて屋根瓦も美しく、いい町並みで楽しい。宿場時代の屋号や稼業を書いた札が各戸口に下がっている。問屋場東の荷蔵跡、脇本陣跡、本陣跡、橋のたもとの高札場跡、そして街道の左側に立派な伊吹堂亀屋左京艾屋がある。柏原は伊吹山の名産、ヨモギから艾(もぐさ)を作り全国に卸していた町で、いわば艾のブランド品を扱って栄えてもいた。昨日柏原宿歴史館で見た伊吹山のヨモギは背丈が高くでびっくり、さらに、艾になるのはヨモギの本体ではなく、茎に生えている細い毛だけを集めたものと聞いて2度びっくり。どれだけの手間がかかっているのか、想像を絶する。柏原では艾を卸す商店が何軒かあったとのことだが、今も残る亀屋のどっしりとしたたたずまいは江戸時代の繁栄を伝えている。亀屋の中に大きな福助が見えるが、福助の顔・形がいわゆる福助のイメージとは大幅に違うのが面白い。ちっとも福々しくはない。店では今も艾を扱っているそうだが、ガラス戸には「撮影禁止」と張り紙がある。今も営業しているのにきっと断りもせずに撮影する人が多いのだろう。
その先、右手にある柏原宿歴史館が昨日立ち寄ったところ。そのさきには問屋場西の荷蔵跡がある。東海道、中山道と歩いてきたが、問屋場の荷蔵というのは初めて耳にした。考えてみれば荷物の中継ぎをするのがから、荷蔵があって当然なのだろう。ここではきっと艾も発送されていたのだろう。
山茱萸さて、その先の信号を渡った右手には江戸時代初期に将軍が上洛する折に使われていたという御茶屋御殿跡がある。赤坂宿の御茶屋御殿跡はそのまま敷地が残っていたのでなんとなく昔をしのぶよすががあったが、ここは残念ながら碑や絵図しかない。近くの家ではちょうど山茱萸(さんしゅゆ)が満開。左手には郷宿という、本陣などに泊まりきれなかった武士階級などが泊まる宿泊施設の跡がある。今まで郷宿の跡、という碑は殆ど見かけなかったように思う。そのすぐ先に一里塚跡と常夜灯がある。

石のお地蔵さま
車が殆ど通らず静かな道で歩いていて気持ちがいい。遠くから国道を走る車の音が聞こえてくる。民家の庭先で猫が三匹いたので声をかけたら一匹は駆け寄ってきてくれた。街道沿いに松並木があるが、このあたりでは並木と言わず、「松並び」と呼ぶらしい。道がカーブしていて集落に入ると右手に白山神社がある。鳥居の前の福寿草がちょうど満開。中山道はその先、小川の関の碑で右の野道に入る。湿った枯葉のつもる静かな道だが、廃車が何台も捨ててあった。300メートルくらいでまた元の道に合流する。右手にお地蔵様を祭った祠がある。うん?お地蔵様?いや、石を積み重ねて涎かけをかけてあるのがたくさん並んでいる。一見して、地蔵、と認識するのは涎かけのせいだろうか。とても可愛らしい。その先、またお地蔵様。慈圓寺、八王子神社を過ぎると道は川沿いとなり、桜並木、そして松並木となる。
切干大根
やがて道は左手の国道に合流する。国道を300メートルくらい歩くと左手に中山道の碑があり、そこから国道に分かれ、また静かな道になり、玄関先に切干大根を干している家がある。すぐ右手に八幡神社があり、ここのベンチで一休みすることにした。街道を歩いていると寺院は一休みしにくいが神社はどこかしら座れる場所があって休憩しやすいような気がする。それに神社はたいてい木立があるので日よけや風よけにもなる。
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118 六部地蔵から常磐御前の墓まで
2009 / 03 / 16 ( Mon )
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六部地蔵から常磐御前の墓まで
六部地蔵を過ぎるとやがて左手、国道の向こうの丘に幟が見えてくる。家康が関ヶ原の戦いのとき、最初に布陣した桃配山だ。このあたりから道標などに関ヶ原の合戦関連の案内が多くなる。事前に関ヶ原町に「中山道関連の資料が欲しい」と連絡したら、「うちは関ヶ原の合戦関連のものばかりですが・・」と言われてしまった。それでも関ヶ原宿の資料を送ってくれたが、同じ関ヶ原町内の今須宿に関するものは全くなかった。
さて、中山道は一ツ軒(ひとつや)の交差点の手前で一度国道21号線に出るがまたすぐ一本裏の道となる。
車も通らず犬が日向ぼっこする通りをのんびり歩いて行くと、また国道21号線に合流して関ヶ原宿に入る。
若宮八幡、法忍寺、脇本陣跡をすぎ、国道365号線との交差点で中山道から少し外れてお昼を摂ることにする。
インターネットで見つけた、伊吹という地元ファンの多いレストランに入る。和・洋・中となんでもあるところ。パスタランチを頼んだが、素材もよくていておいしい。サービスもきちんとしているので確かに地元ファンが多いのもうなずける。ボリュームはちょっと多くて残してしまった。いつもなら全部食べてしまうのだが、今日は夕食に天然鴨の鍋を予約しているので、申し訳ないと思いつつ腹八分目でとめておいた。
食後また中山道に戻って国道を行くと右手に西首塚がある。これも関ヶ原合戦の時のもの。

不破の関跡その先で国道に分かれて左の道へ進むと道はゆるやかな上りとなり不破の関跡に出る。ここが、かの不破の関跡か・・・壬申の乱(762年)には既に存在していたのだから、およそ1250年前には関所として機能していたのだろう。
不破の関東城門ー上りー不破の関跡ー下りー不破の関西城門と距離が長く、非常に規模が大きかったことがうかがえる。後で調べたら、発掘の結果、12万平米あったとのことだから、後世の「関」の概念でとらえるより、むしろ砦としての機能のほうが大きかったのだろう。
不破の関は789年に廃止されているので、江戸時代はすでに歌枕としての遺跡となってから1000年経ていて、当時の旅人にとっては見物する対象だったのだろう。
さて、中山道は国道に出て歩道橋を渡り、斜めに国道を横切るようにして続き、山中集落に入って行く。日向ぼっこの犬
静かな道を進んで行くと左手に川が見え、鶯滝がある。でも残念ながらフェンス越しなので風情がない。その先で新幹線のガードをくぐり、車も殆ど来ない春ののどかな道を気持よく歩いて行くと常盤御前の墓がある。
道がのどかだと犬の日向ぼっこによくであう。

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117 垂井から六部地蔵まで
2009 / 03 / 16 ( Mon )
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垂井から六部地蔵まで
垂井宿中山道通算31日目。今回はカメラ好きの友人も一緒に3人で歩くことになった。垂井の駅についたら雲が多く、風が強い。駅から2,3分歩いて中山道に出て再スタート。この前垂井宿の東の見附を通っていたので、ここは垂井宿に東からちょっと入ったあたりになる。街灯に「中山道垂井宿」と書いてある道を少し歩くと江戸時代からの旅籠亀丸屋が緩くカーブした道角に見える。亀丸屋の前には「この道は中山道です」の道案内がある。前回もこの道案内には助けられたが、東海道も中山道も案内表示がしょっちゅう変わったりなくなったりするのでうっかりできない。左手に問屋跡、本陣跡がある。
垂井の泉とおおケヤキ南宮大社大鳥居を左に行くと垂井の地名の本となり古くから歌にも詠まれてきた垂井の泉が玉泉寺の門前に湧き出ている。泉の際にはケヤキの古木がそびえたっている。
また中山道に戻って進むと右手に旅籠の長浜屋が御休み処になっていて親切にいろいろなパンフレットをくれて説明してくれた。お礼を言ってその先の本龍寺へ歩いて行くと長浜屋からボランティアの人が追ってきてくれて本龍寺の門は元脇本陣のものを移築したものとか、ここが高札場だったことなどを解説してくれた。
西の見附で垂井宿と分かれ、中山道を進む。雲がきれ、晴れ間が広がり暖かくなってきた。東海道本線の踏切を渡って国道21号線の日守の交差点を歩道橋で横切る。このあたりは「この道は中山道です」の標識があった分かり易い。
野上集落やがて左手に日守茶屋跡(茶所とある)、その先に一里塚がある。一里塚は片方だけ残っている。日守西の信号で国道を横切りバイパスの上を通って進む。このあたりは落ち着いた野上の集落になる。しばらく歩くと右手に伊富岐神社の鳥居があり、改めてこの地方にとって伊吹山の存在がとても大きいと感じる。


しだれ梅車もほとんど通らない歩きやすい道を行くとちょうど梅が満開で、ほうぼうの庭や野に紅白濃淡とりどりの梅が美しい。やがて前方に松並木見えてくる。実に久しぶりに松並木を見て、とても癒される。まっすぐにそびえたって威圧感のある杉木立より、ゆるやかに曲がったりくねったりしている松並木のほうが見慣れているせいか癒される。
てくてくと歩いてみて並木が旅人に涼しい木陰や雨避け、そして憩いを与えてくれるのを実感する。やがて左手にベンチと六部地蔵が見えてくる。

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116 兜塚から垂井駅まで
2009 / 03 / 05 ( Thu )
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兜塚から垂井駅まで
大塚古墳兜塚のすぐ先にある線路は貨物の廃線らしく、地図によっては記載されていない。中山道はそのまま、まっすぐ道なりに進んで行くと、左手の民家の間から土手のような盛り土が見える。左の道に入ると大塚古墳に出た。このあたりは古代から豊かな土地であったらしく、古墳が多いとガイドブックにある。美濃国分寺もこの先にあるから、確かにこの地方の中心地だったのだろう。

中山道の右手には明秀寺、ちょっと奥まって如来寺があり、昼飯町の信号の先で東海道本線の線路のガードをくぐる。この昼飯(ひるい)町の由来については方々に書いてあるが、昔善光寺如来が浪速の海で拾い上げられて信濃の国善光寺へ送られる途中、ここで昼飯のため休息されたという故事からだというが、それなら、日程の数だけ昼飯という地名が残りそうなものだという気がする。
青墓さて、ガードをくぐると地名が青墓となる。青墓は平安時代から中世にかけて交通の要所として栄えたところで多くの遊女がいたところ。平安末、源義朝の都落ちにも出てくる処で、変わった地名だがいったい美濃のどの辺なのかと思っていたのが今回歩いてみて、うーん、ここがそうなのか、とちょっと感無量。途中で「中山道 青墓宿」という碑を見かけたが、東山道の頃は宿場だったが・・・。でも、本郷の森川宿といい、立場も間の宿として呼ばれているから、そういう意味だろうか。

中山道は道なりに進んで行くと左手に浄瑠璃の小栗判官に出てくる照手姫水汲みの井戸があり、右手には義経伝説のよしたけ庵跡がある。その先、大谷川をわたり、変形十字路を直進して道なりに行くと国分寺道の常夜灯が右手にある。ここでせっかくなので、美濃国分寺跡を見に行くことにした。
どちらかというと、太宰府政庁跡、多賀城址など、礎石だけの古代の遺跡は想像をかきたてるので楽しい。美濃国分寺跡も広々した敷地を見ただけでも当時の規模や威勢が偲ばれた。時間がないので、その先の資料館はあきらめた。

垂井駅そろそろ雨粒がポツポツ落ち始めたので、道を急ぐことにした。中山道に戻ると少し先、右手に青野一里塚跡の碑がある。ついに雨が降り始めたので、ひたすら歩く。駒引の信号、追分東の信号、追分の信号を過ぎると左手にマックスバリューあり、その先の継父川(ままちちがわ)のたもとで、左から来る美濃路との追分になる。角には道標があり「右 これより東海道・大垣・美濃、左 木曽街道・高山みち」とあり、その前に追分庵という休憩所があるが何故か閉まっていた。ここで追分橋を渡り、次の信号で相川を渡る。橋を渡ると左手に垂井宿の案内がある。中山道はを少し進んでところで、私たちは今日のゴール、垂井駅に向かった。それまで目にした名鉄、樽見鉄道の駅と違ってJRの垂井駅はなんとも立派で、役場かと見間違えてしまった。

今日は結局最後の1時間だけ雨に降られたが、それまではなんとか天候ももち、寒くもなく楽しく歩くことができた。

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115 七回り半から兜塚まで
2009 / 03 / 03 ( Tue )
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七回り半から兜塚まで
伊吹山七回半の石標のさき、西浦橋のかかる用水路は水が澄んでいる。あたりは用水や川が多い。このあたり、西之川町は天然記念物の淡水魚、ハリヨの生息地だというのがこういうきれいな流れを見ると納得できる。環境の似ている熊谷宿のあたりにいる天然記念物のムサシトヨミを思い出したが、帰宅後調べたら、どちらもトゲウオ目 トゲウオ科だった。きれいな水が必要な、ちいさな生物だが、環境が守られてほしい。このあたり、田園風景で、遠くに伊吹山がかすんでいる。

たまご自販機さて、中山道は県道を横切り、向かい側のアパートに沿って右に曲がって別の県道に出る。このあたり、大垣市の立てた「ここは中山道です」という標識がしっかりしている。県道を100メートルほど進むと道なりに右に曲がり、また道なりに左に曲がる。街道沿いに「産みたて卵」と看板のある小屋があったので中を覗いたら、なんと!卵の自販機がロッカーのようにずらっと並んでいた!う、うーむ。初めて卵の自販機を見た。おいしいだろうなぁ。産みたて卵には興味があるがまさかここで卵を20ヶもリュックに入れて歩くわけにもいかないのでドアを閉じた。

蝋梅すぐ養老鉄道の踏切が見え、右手に東赤坂駅がある。踏切を越え、菅野川を菅野橋で越えて進むと中山道は左手に分かれる。道の左手をちょっと曲がったところに徳蔵寺があり、蝋梅の香りが漂っていた。中山道のその先の白山神社を過ぎると池尻一里塚跡の石碑がある。

私たちはここで、うどんのお店を見つけたので、お昼にすることにした。昨日のお昼のひつまぶしはおいしかったが、重すぎたので、麺が食べたい、と思っていたのでちょうどよかった。「麺茶房」とあり、お店は確かに和風だが喫茶店の雰囲気もある。奥の席に案内され、メニューをみたら、讃岐うどんとあって嬉しい。注文してまわりをみたら、壁一面にレコードのコレクションと真空管のオーディオがある。どんなコレクションなのかな、と見ていたら、なんと!フルトベングレーの素晴らしいコレクションがある!思わず「まあ、フルトベングラーだわ!珍しい」と声をあげたら、おかみさんがニコニコしてご主人を呼び、さっそく、ベートーベンの英雄のレコードをかけてくれた。フルトベングラーは第2次大戦後間もなく亡くなったドイツの指揮者で、録音状態にもむらがあるらしい。私はカラヤンよりベーム、それにフルトベングラーのほうが、ずっと深みがあって聞いていて楽しく感じる。思いがけず素晴らしい音楽を聴きながらおいしい麺をいただいた。お店は昨年9月にオープンしたばかり、「中山道を歩く人がフルトベングラーを知っているとは思わなかった」と御主人はニコニコ。そのコメントは?だが、バッハが好き、というご主人はきっと常連さんたちがあんまり音楽に関心がなさそうなのでその点はちょっとさびしいのかもしれない。でも、オープンして3か月くらいで裏通りなのに常連さんも多そうで地元に根付いているお店のようだった。

赤坂宿さて、雨が降らないうちにできるだけ先に行きたい、と出発。中山道は赤坂大橋東で県道に合流して杭瀬川を渡り、更に赤坂大橋を渡ると赤坂宿に入る。右手に明治時代の警察署を移築した赤坂港会館があり、この細い川がかって広く、水運が盛んで大きな港があり栄えていたことが偲ばれる。この港会館では、「女性だけの中山道歩きは珍しい」と喜ばれた。そう言えば東海道より女性の割合が少ないかも知れない。踏切をわたる左手に本陣跡の本陣公園、右手に道標があり「左たにくみ道」とある。たにくみとは、樽見鉄道の中にもポスターがあったが、谷汲山華厳寺への道で、西国三十三番巡礼の満願の寺として信仰を集めている。この道標の立つ辻向いの家がまるで本陣のように素晴らしい。その隣が脇本陣跡。和宮通行の際の家屋の普請についての資料があるという御嫁入普請探訪館に寄るつもりだったが、予約しないと見せてもらえず時間がないのであきらめた。

少し脇道に入り、お茶屋屋敷跡を訪ねた。ここは4-5月頃のボタンの季節には公開されているが、個人所有の家になっている。幸い門も開いていて、庭園を歩くことができた。また中山道に戻り道なりに進むと左手に関ヶ原の戦いで戦死した武将を祀る兜塚があり、ここが赤坂宿の西の御使者場跡となっている。

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