86 馬籠高札場から新茶屋まで
2008 / 11 / 13 ( Thu ) (ダウンロード用の地図は準備中)
![]() ![]() 馬籠の高札場の向いの蕎麦屋の行列を見て、思わずぎょっとした。連休でちょうどお昼時。 これは大変!まずお昼を食べなくては。 県道を横切って馬篭宿へ入ると、人、人、人、で道が埋まっていて、地面が見えないくらい。 なかなか前に進めない!すぐ左手に栗おこわを定食にしているお店があったので、すぐに入ってしまった。 ![]() デッキからは恵那山も見え、表から見るより店内は明るく、栗おこわはしっかりした味でおいしくいただいた。 もうこれでお腹いっぱい、と満足して先に進み、馬籠脇本陣資料館を見る。 観光案内所で妻籠で購入してきた完歩証明書に捺印してもらい、熊避けの鈴を返却してから、島崎藤村の生家、本陣跡に建つ藤村記念館へ。 時間があるので、ビデオも資料もゆっくりみることができ、藤村の文学活動の背後にある文学的な素養や家系を考えることができた。 ![]() 観光案内所で妻籠で預けた荷物を受け取り、宿場の店舗を見ながら中山道を進むのだが、人が多くてなかなかシャッターチャンスがない。 馬籠では犬連れの観光客が多く、特に白い柴犬が人懐こくておとなしい。子供達もなでていた。 飼い主が狸の剥製の横に座らせたら、ずっとおとなしく座って写真のモデルもつとめてくれた。 焼きたてのお煎餅を食べながら(満腹なのだが・・・)歩き、お店のハシゴをする。 妻籠でも馬籠でも、和菓子の製造元を見ると中津川市内が多いことに気づいた。 では、中津川で和菓子を買おう、と心づもりをした。 宿場を下っていくと、復元された水車小屋と枡形があり、いよいよ、もう少しくだると馬籠宿は県道にぶつかって、おわりとなる。 中山道は県道を突っ切って進む。宿場を離れたら、いきなり、周りに誰もいなくなった。 静かな田舎道を気持ちよく歩く。馬籠城址、諏訪神社を過ぎて行くと、豆を打っている婦人がいたので、挨拶して話を聞く。 根ごと抜いて、まだ鞘に入っている豆は、叩くと、豆だけ落ちるので、それを粗いふるい、少し細かいふるい、と2段に分けて豆だけ選っていく、手間のかかる仕事なのだという。 近くでご主人が私たちの話を聞きながら、豆殻を焼いていた。 秋の休日、見ている私たちにとっては、心豊かな、なんともいい風景。 ![]() 自家製の野菜や豆で作った御飯はおいしいだろうな、と思いつつ、別れて先に進む。 少し先に行くと子規公園。美濃の平野とおだやかな山波が広々と広がっていて、今までの木曽谷の景色とは全くことなる夕景が目新しく映る。 そのまま下って行くと、畑でにんじんを抜いている人となにげなく、目礼した。 新茶屋のまで庭の写真を撮っていたら、さっきの人が歩いてくるので声をかけたら今夜泊まる新茶屋の女将さんだった。 じゃあ、そのにんじんは夕食の一部?と嬉しくなった。 芭蕉句碑、一里塚などを見てから宿に入る。夕食はやっぱり殆ど自分の家で採れたもの(さっきのにんじんもあった)、猪肉もご主人が捕ってきたもの、でおいしくいただいた。 道路沿いの宿なのに、車の交通量がほとんどなく、とても静かな夜だった。 |
85 滝見茶屋から馬籠宿高札場まで
2008 / 11 / 12 ( Wed ) (ダウンロード用地図は準備中)
![]() ![]() 滝見茶屋の前の、歩道のないバス道路を進むと、滝の手前で別れた道が左から合流する。 中山道はその少し先で右手の橋を渡ってまた車道と分かれる。 橋を渡ったところの使えるのかな?というトイレを見て、その先の岩に腰かけて、昨日妻籠で買った洋ナシを食べる。 完熟でまろやかでおいしい!その間、妻籠からも馬篭からも数名づつのグループが歩いてきた。朝からすぐ一休みする私たちは軟弱。 山道を登って行くとまた舗装道路を峠入口バス停で横切り、また山道に入る。 山道を行くと左手に椹(さわら)の大木があり、一番したの枝が、下ではなく、上に向いている。 こういう枝を神が座る、という意味で神居木というそうだ。登って行くと、一石栃白木改所跡の木戸にでる。 ここは木曽の山から切り出された材木に許可の焼印が押してあるかどうか調べて抜荷を防いでいた役所の跡。その先が立場茶屋で、今は一軒しかないが、往時は7軒もあったという。 さらに登り、県道に出たところが峠の茶屋で、馬篭峠の碑もある。休日なので歩く人たちが大勢五平餅を食べたり、休んでいた。 ここから道は下りになる。舗装道路に岐阜県中津川市の標識があって、馬篭は岐阜に越県合併したことを思い出した。 中山道はまたすぐ右手の道に入る。馬篭から歩いて登ってくる人も多い。少し下ると熊野神社のある峠の集落に入る。 ![]() ![]() ![]() 大豆・小豆・干し芋などを干している家が多い。干し芋や豆殻が藁や筵の上に干してあるのをみて、通気性もいいし、風情があるだけでなく、昔の知恵は合理的だな、と感じる。 こうして天日に干したものは安全でおいしいだろう、と羨ましい。 ![]() ところどころで、日に映えて紅葉も美しい。さらに下ると栗強飯を詠み込んだ十返舎一九の碑がある。 栗の季節なので、栗おこわを食べたくなってきた。また、2回ほど舗装道路を横切って下りて行くと、道端の高い柿の木に梯子を架けて男性が3人がかりで柿をもいでその場で売っていた。大きくておいしそうに熟しているので、勧められるままに買って、その先のベンチに座り、持参のお茶で洗ってかぶりつく。皮は剥かなくても気にならないほど薄く、実は少し柔らかくなっていておいしい!満足。 ![]() 20メートルくらい県道を歩くと右手の階段を上る道に出た。馬篭までの最後の山道を行く。 途中、民家の庭先をコの字に回り込み(ちゃんとまわれ、と案内が出る)、高札場の前に出る。 |
84 妻籠宿尾又おしゃごじさまから滝見茶屋まで
2008 / 11 / 11 ( Tue ) (ダウンロード用地図は準備中です)
![]() ![]() 中山道通算22日目。江戸時代の旅人は一日40キロ歩いたというが、私たちにはとうていそんなに歩けない。 私の場合、がんばって、30キロ。でも、その翌日は30キロ歩くのは無理。 大名行列の記録を見ても、毎日40キロあるいていたりする。 ひとつには、舗装道路を歩くととても疲れるが、山道であっても舗装じゃない道のほうが後で体がとても楽。 疲れは筋肉痛ではなくて、舗装道路を歩く反動が膝や腰の関節を疲労させている気がする。 さてさて、妻籠ー馬篭間は中山道でも歩く人が多くて、歩きやすい道なので、今日は中山道ウォークのハイライト。 朝食前に宿場の写真を撮りに外に出ると空気が冷たい!奈良井もそうだが、ここでもカメラを構えた人たちが宿場の朝の風景を撮ろうと数人出ていた。 昼間歩く服装だと冷たくなってきて、宿に戻った。 朝食後、観光案内所に行き馬篭まで荷物を託す。妻籠ー馬篭間は500円で、朝頼んだ荷物をお昼には運んでおいてくれるので、手ぶらで歩ける。 妻籠ー馬篭間の完歩証明の葉書も購入し(宿のクーポンで半額)、クマよけの鈴も借りて(1200円のデポジットは馬篭で全額戻る)、出発。 馬篭まで石の道標と中部北陸自然歩道の標識がしっかりしていて、歩き易い。 妻籠を出て、国道256を横切り田島橋のたもとから土の道を進む。大妻橋で蘭川を渡るところだけ舗装道路に出るが、今度はすぐに脇道に入ると上りになり、山裾を巻くようにして進み、神明集落を通る。 神明集落は人通りもなく、落ち着いている。 神明集落を過ぎると下りになって、舗装道路に合流し、神明橋で男埵川を渡ると、大妻籠の大きな案内板の見える県道7号に出る。 ![]() 県道のすぐ手前野右側の道をとり、大妻籠の集落へ登る。大妻籠は民宿もあり、昔ながらの作りの家々が立ち並んでいる。 大妻籠から少し寄り道をして、木曾の典型的な農家という、長野県の県宝という藤原家を見てきた。 豪農ばかりでなく、こういう標準的な農家を見るとよけい昔の暮らしが偲ばれて想像力をかきたてられる。 今回、寡聞にして初めて、県宝という用語を見たような気がするが、長野県以外でも使うのだろうか? さて、中山道に戻って進むといったん、庚申塚でバス道路にでる。中山道はバス道路を横切って石畳の道に続いている。 ![]() ずっと上り坂になって下り谷の集落に入る。小さな社の倉科神社を過ぎてしばらく行くと、左中山道(中部北陸自然歩道)、右滝を経て馬篭峠という分かれ道に出る。 迷った末、この中部北陸自然歩道は幕末頃の中山道とは違う道を差していることがよくあるので、右の道をとり、とにかく滝まで行くことにした。 はるか下に川が流れ、「滝まで147メートル」という案内があるが、これは高低差なのか、距離なのか、不明で?? ![]() 滝見橋を渡り、左手の滝への道をとる。水量の豊かな男滝、少し先にある小さめの女滝。もう少し紅葉していたら素晴らしいだろう、と思いつつ、滝の飛沫を浴びた。 男滝の近くの案内に「幕末までの中山道は滝の下を通っていた」とあったので、幕末の中山道を歩きたい私たちはこちらを正解、と考えて、女滝の先から上り、滝見茶屋に出た。 |
83 しろやま茶屋から妻籠宿尾又おしゃごじさままで
2008 / 11 / 11 ( Tue ) (ダウンロード用地図は準備中)
![]() ![]() しろやま茶屋の前で車の通る舗装道路は左手、中山道はその右、さらにその右手に妻籠城址(しろやま)に登る道に分かれる。 急坂だが、小石を表面に少し出している洗い出し舗装に格子状の切り込みが入っていて、滑りにくくなっている。 妻籠方面から登ってくる人たちは息が切れている。 中山道は道なりに下り、「これより妻籠」の案内板を過ぎると大きくカーブしている。民宿が数軒あり妻籠らしい雰囲気を醸し出しているので、鯉岩を過ぎてしまったのかな、と思って土地の人に確認してしまった。 ![]() やがて左手に大きくて藤の蔦かなにかで蔽われている鯉岩があり、その先に番所跡、地蔵沢橋があって、妻籠宿に入る。妻籠に入ると連休のためか、観光客があふれていた。殆どの人は車で来ているのだろう。 私自身、今まで2回車で来ているが、車でくると有名なスポットだけさっと見ていたが、歩いて辿り着くと喜びや感動も大きく、丁寧に見ようという気持ちになる。妻籠宿の高札場を過ぎ、両側の店舗を覗いたり、五平餅を食べたり、時間があるので、気分もゆったりする。 ![]() あの、大きな形だとお腹がいっぱいになってしまって、今の食文化と合わなくなっているのかな、と思いながら、2人で一本を分け合ったが、それでも十分だった。 重文の脇本陣奥谷(林家)資料館、本陣(島崎家)を見学。また、お店を覗きながら和菓子を試食したり(丁兼=澤田屋がおいしかった!)、柴犬の小豆ちゃんがおとなしく店番をしているのを見て楽しみながら枡形を通り、今夜の宿、松代屋を確認。 そのまま足をのばして、尾又橋のほうに曲がった路地の食料品店へ果物を買いによる。地元産の次郎柿4ヶ100円(!)と洋ナシ1ヶを購入!信州に入ってから、地元の果物が安くておいしい! 実りの秋を満喫している。実はこのお店、車で来ると駐車場から妻籠へ出る道筋で、20年ほど前に瓜を買った記憶があったので、たぶん、妻籠で果物が買えるだろう、とあてにしてきたら、やっぱり変わらずにあったので嬉しくなった。 ![]() 買い物ついでに尾又橋から蘭川(あららぎがわ)を眺める。?蘭川はこれから進む方向、つまり馬篭方面から流れてくる! 今まで木曽川は進む方向へと流れていたので不思議な感じがしたが、蘭川は妻籠の北で木曽川に合流しているので、今までとは逆の流れなのだな、と納得。 松代屋に戻って、部屋に通りゆっくり入浴。川魚と野菜料理の夕食をおいしく頂いた。宿の人たちも親切で気配りもよく、気持がよい。 夕食後、ちょっと写真を撮りに出る、といったら、小田原提灯を貸してくれた。 奈良井では番傘、妻籠で提灯と、古い町並みには古い小道具がよく似合う。 |
82 南木曽からしろやま茶屋まで
2008 / 11 / 08 ( Sat ) (ダウンロード用地図は準備中)
![]() ![]() 塩尻から各駅停車で南木曽に来る途中、車中から眺めているとところどころで紅葉がきれい。 南木曽駅の観光案内所で歩くマップをもらう。 駅の反対側に出るため、またボロボロの歩道橋で中央本線を越え、中山道へ。 妻籠までは、道幅も狭く車も殆ど通らない道なので歩きやすい。 南木曽からすぐ和合集落に入る。集落のなかほど、左手に大きなしだれ梅が目につく。 私たち以外、誰も歩いている人もなく、とても静か。 道路が大きくカーブしているところで、土砂崩れの防護柵があり、これでは大雨で崖が崩れてきたとき、歩いていたらたぶん埋まるだろうな、と思ってしまう。歩いていると木曽路は谷が迫っているところが多く、崩落の危険を知らせる看板もよく見かける。 静かな中山道を歩いていると、民家のあるあたりは道の両側の植木がよく手入れされていて気持ちがよい。 やがて、木曽義仲と巴御前の逸話のある、振りそで松に出る。松の木は碑と一緒に写せないくらい高い。 でも、平安末に振りそでって?? 振りそで松の脇に神明神社の新しい祠があり、その奥へ石段を下りると、木曽義仲の兜についていた観音像を胎内に納めた仏像があるという、かぶと観音堂がある。 かぶと観音を出ると変形五叉路があり、中山道は坂を下ってかぶと橋を渡って行く。 その先で戦沢橋を渡ると重要伝統的建造物群保存地区の案内板があり、その先から石畳の道が始まる。 その先、上久保の一里塚は形が少し変形しているように見えるが、中山道の両側に高々とある。そこからは下りとなり、下から来る道と合流する。 ![]() 写真を撮っていたら、水車小屋を管理している人がカメラアングルをアドバイスしてくれて、水車小屋を維持するのが大変なこと、木の樋が壊れたため、水を流していないこと、などいろいろと話をしてくれた。 こういう、地元の人が愛着を持って無償の働きできれいになっていることに感謝。 そこから妻籠方面に歩いて行くと、京都から来ているウォーキングツァーの団体とすれ違った。 しんがりのガイドさんが「この道であってますよね?」とちょっと不安そうに訊いてきたので可笑しくなってしまった。 きっとこのルートでの添乗は初めてなのだろう。 私たちもいつも地図やガイドブックや案内表示と首っ引きで歩くが、迷ったり考えたりするのがとても楽しい。 でも、御客を案内しているガイドさんは迷ったら責任問題! 中山道はやがて車の通る道と合流し、また右手、土道に分かれ、しろやま茶屋(営業していない)でまた舗装道路と合流する。 |