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中山道番外編6 (マップ58 犬飼の清水から耳塚まで 追補)
2008 / 09 / 04 ( Thu )
塩尻 堀内家住宅  と 小野家住宅

今回は、どちらも重文の堀内家と小野家に予約を入れて、見学をお願いした。
両方ともにご当主が案内・説明をしてくださったので、とっても興味深かった。

まずは堀内家。

堀内家1
門をくぐると重厚で素晴らしいデザインの本棟造の建物に圧倒される。
もともとの建物の外観に後世になって、手を加えたとのことだが、存在感のある建物。
堀内家は堀内村の庄屋なので、豪農の造り。

左手のくぐり戸から屋内に入らせていただいた。



堀内家2  堀内家3

屋内はがっしりとしていて、元厩だったところ、とか、ご当主の子供時代まで餅米などを蒸す時に使っていたおおきなかまどなどがあり、いかにも使い込まれていた家屋で往時をしのばせる。
また、座敷も庄屋としての風格を伝えている。
堀内家 HP http://www.asahi-net.or.jp/~ps5t-hruc/ (見学は要予約 0263-52-0311)


ついで、街道沿いに500メートルほど行った小野家。

小野家1
小野家は元々名主だったのが、塩尻峠が開かれ、塩尻宿が作られた時、塩尻に移住させられたそうである。そのため、農家、旅籠、さらに両替商という3つの機能を持つ家だった。
街道に面して、左手の格子部分が両替商としての店、正面が全面開口となり旅籠の入り口、更に右手の重文の説明のさらに右手に大きな門があり、庭を通って座敷に通じていたが、今、この座敷部分はない。門の金具も戦時中に供出され、失われている。



小野家2小野家3ichoya

一階のぴかぴかに手入れされている箱階段と、2階に置いてある、旅籠としての「いてうや(銀杏屋)」の看板。この屋号となったイチョウの大木は今も庭の奥にある。右は、1階のオエの鴨居の上にかかげてある、屋号入りの提灯の箱。5,6個掲げてあった。


小野家4 小野家5 小野家6

旅籠としてのいてうやの2階。それぞれの部屋には、板戸に狩野派の絵が描いてあり、左が鶴の間、真中は鹿の間、右が、板戸から天井まで桜が続いて描かれている、桜の間。2階にも厠がある。
とても単なる旅籠とは思えない贅沢な作りになっている。かってあった、門から入れる座敷といい、おそらくは本陣・脇本陣が満員のおり、身分の高い人も泊めていたのであろう。

小野家7小野家8

左は、母屋の裏手にある、やはり重文の文庫蔵。その先には畑が広がり、その畑の向こうに長屋門(右手写真)がある。この部分は農家としての家屋で、裏手の道路から入ってこれた。これだけ、当時の機能が保存されているのは珍しい。
ご当主がすべて、ご丁寧に案内し、説明してくださったので、思いがけず、見ごたえのある見学でとっても嬉しかった。

小野家 0263-52-9021(見学は要予約)

堀内・小野両家とも、ご好意で見せてくださるのでそのつもりで見学してください。
元の記事と地図はこちら



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中山道番外編 5 (マップ56 下諏訪駅前から旧茶屋本陣今井家まで)
2008 / 07 / 25 ( Fri )
下諏訪 春宮 と 万治の石仏

中山道歩きを始める前から諏訪大社のうち、上社(前宮、本宮)と下社の秋宮は何度か参拝したことがあったが、何故か春宮は、いつも国道沿いの鳥居をみて終わり、となってしまっていた。中山道の下諏訪宿の手前で、春宮の杉並木を通り、あらためてそのことに気づき、折を見て寄ってみたかった。

春宮1
中山道からみえる春宮の大鳥居をまっすぐ進むと、正面に下馬橋があり、道が左右に分かれる。そこを右手の道をとって春宮へ。周りの木立が明るいせいか、秋宮よりも親しみ易い。ちょうど、8月に神様がこの春宮から秋宮に遷るときに使われる舟が用意してあった。この舟、コロで転がして秋宮まで行くのだろうか?担ぐのだろうか??(鳥居の奥に見える、青いシートがかぶせてあるのが舟)。
下諏訪町のボランティアの人が境内に立っていて、春宮について丁寧に解説してくれた。いろいろと質問してもきちんと答えてくれて、知識をしっかり身につけている様子だった。



春宮2春宮3

幣拝殿(左)は重文で、彫刻が立体的で実にすばらしい(右)。
幣拝殿をめぐるように、御柱の一の柱から四の柱まで、時計回りに建っていて、その順でお参りするのが本式、とのことだった。

境内から万治の石仏に行くことができる。この万治の石仏も、以前から名前は知っていたが、見たことがなかったので立ち寄ることにした。途中、渡った川では子供達(親も)が水遊びをしていて、本当に楽しそうだった。都会では見られない、あたりまえのこと、として自然とたわむれているのが見ていて気持ちがいい。

万治の石仏1万治の石仏2

万治の石仏の説明(左)と万治の石仏。思ったより小さかったが、自然石をそのままの形で残しているのが面白い。実際に見るまでは、頭だけが自然石に載っているのかと思っていたが、ちゃんと身体も衣も彫ってあり、なかなかいい石仏だった。
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もうひとつ、気になっていたのが、下諏訪宿の手前にあった、御作田神社の稲。6月30日に植えて、8月1日に収穫する、というのがどうしてできるのか、7月ならどのくらいなのか、見に行った。(見たのは7月21日)まだ、穂は出ていない。

御作田神社 この神社の石垣から、旧中山道に温泉と清水が流れ出ている。じゃあ、この温泉で、稲の発育がいいのか?ちょうど、温泉を汲みにきた近所の人に聞いてみたら、田んぼには、普通の水を使っている、という話だった。ならば、温泉が湧くだけに地熱が高くて稲の発育がいいのだろう。ただし、最近は8月1日ではなくて、もうちょっと遅くに収穫するようにしているらしい。温泉と清水の両方が汲み放題なんて、とっても贅沢な町だと思う。

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中山道 番外編 4(マップ50 上深山口バス停から和田一里塚まで 追補)
2008 / 07 / 24 ( Thu )
和田宿 かわちや と 本陣

和田宿も歩いてきた時は夕方に到着だったので、宿場の通りから眺めるだけだった。
まず、歴史の道資料館かわちやへ。

河内屋 上段の間 河内屋 次の間

和田宿は文久元年3月に火事で主な建物がすべて焼失したが、同年11月の和宮下向に間に合うよう、本陣・脇本陣などとともに再建された。ここは、旅籠なのに、上段の間(左)次の間(右)なども設けられ、和宮下向に当たって、本陣・脇本陣だけでは間に合わない時のために備えたと見られる。
旅籠としては和田宿でも大きかった。佐久地方からこのあたりまでよく見られる出桁造り。

河内屋 押絵
かわちやに置いてあった、押絵。お内裏様、町人、武士など不思議な取り合わせの押絵が一枚に仕立てられている。
かわちやの裏手に黒曜石石器資料館がある。この地域の黒曜石は石器時代、広く関東から南東北まで交易されていた。



おやき体験和田宿本陣前の「かあちゃん家」で地元の農家の主婦の手になるお蕎麦で昼食。その後、おやき体験をした。「今日はいつも教える人が休み」とのことで、年配の女性が教えてくれたが、私達が生地にあんをつめて丸めていると、他の人もきて、「いや、こうしたほうが包みやすい」「自分の経験だとこうだ」と手取り足取り。結局、2人で17個のおやきを作るところ、自分達で本当にまるめたのは半分くらい。両面を焼いてから、台所で蒸してくれた。ほかほかでおいしかった。おみやげにして、冷凍保存を勧められた。


お腹ができて、和田宿本陣へ。

本陣2 本陣1

本陣も文久元年(1861)の火事の後に立てられたもので、約30年前に解体修理が行われ、保存状態がよく、見ごたえがある。中山道から一歩曲がった街道から見た門構え(左)と門を入って、中庭から眺めた母屋(右)
本陣の建物は大名などが宿泊する座敷棟と本陣の家族が居住する居室棟に別れていたが、現存しているのは、居室棟にあたる。


和田本陣3  和田本陣4
本陣の説明(左)と居室棟の内部の座敷。
宿泊用の施設ではないが、室内は格式があった。

今日は和田宿で、暑さの中をリュックを背負って中山道を歩く人を数人見かけた。
この暑さ、木陰を歩けるならまだいいが、このあたりはずっと日陰も殆どない街道が続くので夏に歩くのは相当きつそう。昔の人は「旅は夏」と軽装で旅行のできる夏が旅行シーズンと言ったらしいが、実際に東海道・中山道と歩いてみると、2月の手が凍える寒さ以外、少し気温が低いほうが体は楽な気がする。今は昔より衣類が防寒に適しているからだろうか。



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中山道番外編 3 (マップ45八幡西から望月宿大伴神社まで  追補)
2008 / 07 / 24 ( Thu )
7月、8月は暑いので、歩くのはやめて、かわりに今まで時間がなくて見学できなかったところを回ることにした。

真山家1まず、中山道歩きで立ち寄れなかった望月宿の重文、真山家(さなやまけ)に予約をして見学に行った。望月宿の歴史民族資料館からすぐ近くの街道沿いにある。

真山家は、「大和屋」の屋号で江戸時代には問屋と旅籠を兼ねていたとのこと。
佐久地方に多くみられる出桁造り。
書院の欄間は惜しくも一部欠損しているが、豪快で力強いデザインで、障子の格子も美しい。



間山家 2
現在の建物は、望月宿の大火のあと、明和2年(1765)に建てられているが、重要文化財に指定された後、解体・修復されてから今日まで50年ほど経過している。

書院の釘隠しは解体・修復された際に復元されている。釘隠しとは言っても、実際には釘は使われていず、装飾を目的としているとのこと。
修復されてから年月が経っており、現在も居住しているので、壁などはそれなりに年月が感じられる。


真山家3
街道に面している板敷きの部屋。板戸は上にスライドし、街道に向かって前面開口して光も風もとりこみ、旅人も入りやすくなっていた。
旅籠をやめた後、養蚕をしていたとのことだが、そのころも街道に対して開放的な造りだったので、宿の人々も立ち寄りやすかったらしい。
しかし、今は街道がかさ上げされ拡幅されたため、街道に面した板戸は、常時閉めてある。
締め切りにしても、街道の埃が入り込み、毎日の掃除も大変らしい。
しかも、こちらが南側になるので、この家は南の日当たりを全く家の中に取り込めなくなってしまっている。
(見学料 100円/一人  要予約 0267-53-5875)

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61 本山宿の碑から日出塩駅まで
2008 / 06 / 01 ( Sun )
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本山宿の碑ー日出塩
本山宿の碑を通って進むと、右手に本山そばの里がある。地元の女性たちが運営していて、評判がよいお店で今まで出会った中山道歩きの人たち何人かに勧められた。今日はここでおそばを食べるつもりできたが、時間が早すぎたので、中山道から逸れて池生神社まで往復30分余りの散策をした。新緑で畑も林も気持ちがよい。戻って、11時前に入店し、おそばを食べる。そばの分量もたっぷりめでおいしく、「栗お焼き」が素朴な味で、噛むとじんわりと甘くておいしい。お店の人たちも親切。
満足して出発。本山宿の町に入る。右手に川口屋など旅籠が3軒ほど並んでいる向かいの奥が旧本陣。その先の本山宿の碑が旧脇本陣。道なりに歩いて行くと、本山神社への道が左に分かれ、陸橋で国道を渡ると鳥居と御堂がある。国道のこちら側は山林になっていて、神社の屋根をりすが走っていた。元の道に戻り、19号線に合流する。このあたり、ガイドブックによっては国道をそれる旧道を書いているが、どの道も通行止めになっていたr、廃道で辿れなかったりで、19号線を歩くしかない。右手に国道と線路の間に入る道を取り、踏切を越えて、シンセイK.K.に沿って行くと、日出塩の青木の案内表示がある。案内に従って、工場の裏手に回ると青木の碑があった。肱掛の松と同じく、歌に歌われた木があった跡。また、旧道に合流したところに一里塚跡がある。その先、左手に長泉院を過ぎるとすぐ日出塩の駅にたどり着いた。
今日は旅程が短いが、この次を考えてここまで。
駅で、次の電車まで1時間。やれやれ、とベンチでお茶を飲んでいると、反対方法から一人旅の方が現れ、電車が来るまで情報交換。名古屋からの方で、塩尻から特急に乗って帰るとのことだった。今日もそれぞれの土地のいろいろな人とも話をし、中山道歩きの人とも出会っていい一日だった。

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