中山道全体図
2007 / 11 / 16 ( Fri ) ダウンロード用地図はこちら
右クリックして保存してください。 69次の宿場、高度差の図です。旅程作成の参考にしてください。 ![]() ウォーキングの日程を立てる時、碓氷峠、和田峠を無理なく超えられるようにしたほうが無難かと思います。各宿場間の距離・およその歩行時間・アクセスについてはこちら |
街道関連用語集
2007 / 11 / 16 ( Fri ) 街道の支配
始め、幕閣の中枢である年寄衆や代官頭の管轄。後、老中によって掌握された。 万治元年(1659)道中奉行の設置。大目付一名が兼務。 元禄十一年(1698)勘定奉行1名も兼務し、2名制となる。 職務は宿駅の取り締まり、伝馬・旅宿・飛脚・道路その他道中に関するすべての事務。 中山道の成立 古代から中山道があったが、江戸時代初期にルートを変更し、宿駅も整えていわゆる中山道となった。 慶長7年(1602)が中山道の成立と見られる。 慶長6年(1601)伝馬掟状が現存 慶長7年(1602)江戸の町年寄奈良屋と樽屋が中山道の宿駅の駄賃銭や渡船銭を定めながら西上している。 中山道名称 幕府は享保元年(1716)公式に「中山道」とすることを命じている。(「御触書寛保集成1281号」) 理由:東山道・山陰道・山陽道いずれも古代よりセンと読む。東山道の内の中筋の道に候故、古来より中山美智と申事に候」 新井白石の進言か。 しかし、此の後も民間では一定せず、中仙道・木曽路などの呼称も一般的。 起点 慶長8年(1603)それまで山手を通っていた奥州街道と東海道を市街地内に付け替え、日本橋に橋を架ける。 慶長9年2月4日、日本橋は道路の起点となる。 中山道の起点は日本橋の北詰、東海道は南詰。 明治6年、明治政府は「日本橋、三条大橋の中央を以て国内諸街道の元標」と定めた。 今も日本橋の道路の中央線に道路元標が埋められている。 中山道と参勤交代 参勤交代で中山道を通った大名家は三十家で、忍藩松平家、岡部藩安部家、加賀藩前田家など、美濃、信濃、上野、武蔵、下野国に藩のある大名のほか、加賀、越中、越後の大名は北陸街道、北国街道を経て信濃追分から中山道に入ることが多かった。 また、中山道は東海道とは異なり大河がないため、川止めがなく景色もよいので京都から江戸に下る皇室・公家の姫君の通る道として使われた。 道幅 中山道の道幅は、日本橋から神田須田町までは10間(約18メートル)(「慶長見聞録」)、巣鴨は五,六間( メートル)、板橋宿は五間( メートル)、蓮沼村は四間(7.2メートル)(「新編武蔵風土記稿」)とあり、だいたい4,五間が平均だったようである。 一里塚 慶長9年(1604)36丁を一里として諸国の街道に一里塚を築くことを命ずる。 日本橋を起点。 代官頭の大久保長安の統括下に、江戸町年寄の樽屋藤左衛門、奈良屋市右衛門がつき従い、東海道・東山道は永井白元、本多光重、北陸道は山本重威、半田正勝が築造の指揮。 板橋ー草津間で107か所、そのうち道の両側にあるのが103か所。榎、松を植えたものが多かった。 道程の目印、駄賃の目安、旅人の憩いの場。「くたびれた奴が見つける一里塚」(川柳) 宿場 本来は「しくば」といった。 江戸時代、五街道をはじめ脇往還(脇街道)で駅伝事務を扱うために設定された町場のこと。 それぞれ規定の人馬を常備し、不足の時には助郷を徴発した。公用の人馬の次ぎたて、公武の宿泊にあたったのは問屋場・本陣・脇本陣である。 他に一般の旅籠、茶屋、店舗などがあった。地子免除などの特典があった。 中山道の場合、宿駅定置人馬は50人50匹。ただし、木曽路11宿は25人25匹となっていた。 本陣 大名宿ともいう。江戸時代、海道の宿場に置かれた大名・公家・幕府役人などの宿泊旅館。 起源は正平18年(1363)室町幕府2代将軍足利義詮が上洛の時、その旅宿を本陣と称して宿札を掲げたのに始まる。 参勤交代の往復にその機能を発揮。建物は書院造で門・玄関・上段の間がある広大な規模であった。 その土地の名望家が選ばれたが、維持する経費が掛かる一方、利益のあがる一般の旅人を泊められなかったため、、本陣となった家は疲弊することが多かった。 脇本陣 本陣予備にあてた宿舎。本陣にあきのない時、本陣だけでは収容しきれない時に用いられた。 本陣に次ぐ名家が選ばれたが、本陣とは異なり一般旅客も泊めることができた。 助郷制度 元禄7年(1694)宿場毎に特定の村をきめて人馬の供給を円滑にするため、助郷制度が確立された。 距離 一間は約1.8メートル、一丁(町)は60間で約109メートル。 幕府によって、一里は36丁約3.9キロとされたが徹底せず、地方によっては40丁、48丁、50丁、などで一里とするところもあった。 傍示杭 領地などの境に立てられた杭。 合いの宿(間の宿) 間の宿とは宿場と宿場の中間にある休憩所で、立場茶屋があるところ。 本来、宿場以外で旅人を泊めることは禁止されていたが、次第に合いの宿でも泊めるようになり、度々禁令が出されていた。 |
参考図書
2007 / 11 / 16 ( Fri ) 参考資料:
他にも参考になる図書は沢山ありますが、私が実際に目を通した資料と感想です。 太字は特にお勧め! 歩く 歴史街道トラベルガイド 「武州路・上州路をゆく」 歴史街道トラベルガイド 「信濃路をゆく 上」 歴史街道トラベルガイド 「信濃路をゆく 下」 歴史街道トラベルガイド 「木曽路をゆく」 歴史街道トラベルガイド 「美濃路をゆく」 歴史街道トラベルガイド 「近江路をゆく」 児玉幸多 監修 学習研究社 2001年発行 江戸時代の交通史の権威である児玉幸多氏が監修していて、地図も分かりにくいところは拡大図があり、解説もほどよくまとめてある。 各宿場の案内もあって使い易く、中山道のルートの信頼性も高い。ガイドブックとしてお勧め。今回の地図作成の2番目の基礎資料にさせていただいた。 「中山道を歩く 上」 中山道六十九次 街道宿場ガイド 「中山道を歩く 下」 中山道六十九次 街道宿場ガイド 横山正治・安斎達雄 学研M文庫 2002年発行 文庫本サイズで使いやすいが、地図が小さすぎて見難くく、そのままでは歩きくい。 解説している内容は細かいところまで網羅してあり、歴史的な解説も丁寧で見どころをたくさん知りたい人向き。 歩く旅シリーズ 街道・古道 「中山道を歩く」 山と渓谷社 2006年発行 地図は非常に大雑把だが、参考所要時間、宿泊事情などが丁寧で計画を立てるのに参考になる。中山道は起伏に富んでいるので、距離だけではなく、参考所要時間をみたほうが良い。 新版「中山道 69次を歩く」 究極の歩き方120 岸本 豊 信濃毎日新聞社 2007年発行 軽井沢の追分にある中山道69次資料館長が執筆。最初に見開きで中山道全体の道筋の地図に高度差も表示してあり、難所がどこか、一目で分かりやすい。しかし、歩くための地図は分断されていて小さいので見ずらい。 「中山道を歩く」 児玉 幸多 中央公論社 昭和61年発行 「中山道分間延絵図」「木曽路名所図会」「木曽街道六十九次(英泉と広重の浮世絵)」などを入れ、日本橋を起点に各宿場を解説したもの。 昭和50年代に著者が自ら歩いて取材しているため、現状と異なる点もあるが、歴史的な視点を踏まえての解説なので、中山道全般の基礎知識を得るには格好の書のひとつ。 「中山道民家の旅」 吉田桂二 東京堂出版 平成元年発行 京都から東京へ、中山道沿いに絵と写真で綴る、民家に焦点をあてた街道の旅。 街道沿いの民家のタイプを大きく8つに分けて、どのあたりはどのタイプが多い、という図もあって分かり易い。街道を歩く楽しみがひとつ広がる書。 「今昔 中山道独案内」 今井 金吾著 日本交通公社出版局 昭和51年発行 資料としては古いが、初めに中山道の歴史、江戸時代の旅程、経費なども書いてあって当時のことが分かり易い。また、69次の地図も国土地理院の地図と宝暦6年(1756)刊行の「岐蘇路安見絵図」を比較掲載しながら街道の説明をしているので、楽しく面白い。 中山道の調査書 昭和53年から5カ年計画で、当時の建設省が各都道府県に作成させた調査報告書。五街道を筆頭にその地方地方の主な昔の道が調査されている。元の調査報告書は非売品のようだが、地方地方で様々な出版社からも出版されている。私は国会図書館で元の調査報告書を閲覧した。 街道(どこが消滅してるか、現状はどうか)のみならず、周囲の史蹟も含めて現状まで非常に詳しく調査が行われており、信頼性も高く、今回、中山道の地図を作成する基礎資料とした。ただし、調査から年月が経っているので、都市部では現状はだいぶ変貌している。 「歴史の道調査報告書 第二集 中山道」 東京都教育庁障害学習部文化課編 1994年 「歴史の道調査報告書 第五集 中山道」 埼玉県立博物館編 埼玉県教育委員会 1986年 「歴史の道調査報告書 第十一集 中山道」群馬県教育委員会文化財保護課編 1982年 「歴史の道調査報告書 第一集 中山道」 長野県教育委員会 1979年 「歴史の道 中山道調査報告書」 岐阜県教育委員会 1979年 「中近世古道調査報告書 二 中山道」 滋賀県教育委員会 1996年 地図 国土交通省の五街道制定400年記念事業として各都道府県別に出ている。 以下の7冊子は郵送料を添えて頼むと送ってもらえる。 「東京 街道散策マップ 中山道」 制作 ゼンリン 発行:国土交通省東京国道事務所 2007 見易くトイレなどの情報も豊富で歩きやすい。 問い合わせ先:国土交通省東京国道事務所 環境整備課 03-3512-9099 「街道400年 中山道散策マップ」一~五 (埼玉県) 国土交通省大宮国道事務所 2000 見易いが、各冊ともに数か所づつ史跡などの位置が実際と異なるので注意が必要。 問い合わせ先:大宮国道事務所 計画課 中山道マップ係 048-669-1205 「ぐんま中山道街道ルネッサンス 上野七宿散策絵地図」 ぐんま中山道街道ルネッサンス協議会 2001 楽しい絵図だが、残念ながら大雑把すぎて非常に歩きにくい。ほかの地図を参照する必要がある。 問い合わせ先:高崎河川国道事務所 調査課 027-345-6039 「信州の街道探訪 その壱 信濃十三宿 中山道」 長野国道事務所 地図がちいさく、歩き時には山道など見ずらい。 問い合わせ先: 長野国道事務所 調査課 026-264-7006 「信州十五宿 中山道 木曽路」 やはり地図がちいさく、国道などからそれて山道になるところなどは分かりにくい。 飯田国道事務所 問い合わせ先: 飯田国道事務所 調査設計課 0265-53-7200 「岐阜県十七宿 散策ガイド」 日本歴史街道美濃中山道連合 地図が小さいわりには見易い。 問い合わせ先:美濃加茂市役所 商工観光課 0574-25-2111 「宿駅散策 近江中山道道中絵巻」一、二 企画:近江歴史回廊推進協議会 1999 トイレ、車いす情報もある。 問い合わせ先:(財)滋賀県文化振興事業団内 近江歴史回廊推進協議会 077-522-6268 「旧道日和 碓氷峠」 安中市のパンフレット。旧道日和は何種類かあるが、そのうちの碓氷峠編は、登山口から碓氷峠まで丁寧に書いてあり、高低差や所要時間の目安もあって頼りになる。 この地図を見て、「安政遠足」「中山道」の標識に従うと碓氷峠の山道は歩ける。 駅や観光案内所にある。(横川駅にはなかった) 問い合わせ:安中市産業部商工観光課 027-382-1111 「中山道を行く」 福島宿より北へ桜沢(木曽路の北のはずれ)まで 福島宿より南へ妻籠宿まで<その1> 福島宿より南へ妻籠宿まで<その2> 妻籠宿より馬籠峠を越えて馬籠宿まで 木曾福島駅前観光案内所の手作り(手書き)マップ 地元で作成しているので、とても丁寧で細かい点まで分かりやすい。 ただし、妻籠から北へ、妻籠から南から歩いているので、注意が必要。 PDFファイルをダウンロードできる http://www.kankou-kiso.com/kisomati/sees/data/nakasendo.jsp 「新木曽街道独案内」 槌馬屋(つちまや)資料館 発行 0264-59-2916 江戸時代の道中記に模したガイド。 木曽路全体の概要を知るには判りやすく、解説もいい。 しかし、地図はどれが中山道なのか、書いていないので歩くときの参考にはならない。 木曽路で販売している。 「旧中山道鳥居峠越えコース」 木祖村観光協会のパンフレット http://kankou.kisomura.com/ 18000分の1の地図に奈良井ー薮原間の歩くルート、ポイントが記してあるので、詳細で正確。 鳥居峠を越えるにはこの1枚があればOK. 各ポイント間の所要時間もある。ただし、薮原側からの所要時間なので、奈良井から歩くときは登り下りの時間に注意。 サイトからダウンロードもできる。 「恵那街道歩記」 恵那市教育委員会 0573-43-2112 岡瀬沢、大井宿、西行塚から藤まで、恵那市を通過する中山道を歩くには最適のパンフレット。 「中山道ウォーキングマップ」大井宿ー大湫宿ー細久手宿ー御嶽宿 瑞浪市役所経済環境部商工課 0572-68-2111 大井から御嶽までの詳細なマップでトイレ情報も載っている。 「国土地理院発行 二万五千分の一 地形図 峠など山道の場合、インターネットで購入したり閲覧した。 http://watchizu.gsi.go.jp/ Mapion http://www.mapion.co.jp/ このサイトから1/8000の地図を印刷し、その上にコースと見どころを記入して実際に歩いた。また、キョリ測の機能で距離を測った。1/8000だとコンビニなども掲載されているので便利だが、一枚が1.2km~2.0kmくらいなので、一日分は13~17枚くらいとなり、事前準備がかなり必要となる。ちなみに日本橋から碓氷峠までで、88枚印刷した。 江戸時代の交通・街道 「宿場と街道 五街道入門」 児玉 幸多 東京美術 昭和61年発行 江戸時代の宿場・街道・旅行・寺社詣について、分かり易く解説している。 街道関連の用語の参考書として最適。 「日本史小百科 宿場」 児玉 幸多編 東京堂出版 平成11年発行 五街道を中心として宿場・街道に関する基本的な100の項目について解説。 古代・中世についても概略が述べてあり、各項目が具体例を挙げて説明されていて、分かり易い。 「近世宿駅制度の研究」 児玉 幸多 吉川弘文館 昭和36年発行 江戸時代の交通史の権威の児玉氏が中山道の追分宿の史料を元にして、江戸時代の農村と都市の物流から経済・商業活動を解明しようとしたもの。 古いが、現在の近世交通史に関する研究の基本となる書籍だと思う。 令制の駅伝制度から、江戸幕府によって支えられていた宿駅制度が大政奉還によって明治政府に引き継がれるまでの歴史。 江戸時代、街道の維持に沿道の村々に多くの負担がかかっていて、疲弊していた様子がわかる。 「加賀百万石と中山道の旅」 忠田 敏男 新人物往来社 2007年発行 金沢在住の著者が、加賀藩の参勤交代の実録をお供の旅日記から解説したもの。 大人数の大名行列の速度が以外に早く、江戸から帰国の際、一泊目は桶川まで進んでいたことなど、自分の歩行速度と合わせて考えると興味深い。 加賀藩の川越えの実録もあり、現在の橋を渡るのと全く感覚が異なるのがわかる。 「別冊歴史読本 図説 中山道歴史散歩 宿駅制定400年記念保存版」 新人物往来社 2001年発行 図版を多く取り入れて保存のよい宿場町の紹介、中山道の風俗・用語の解説、江戸時代の旅行体験記、さらに事件簿まであって、中山道の解説としてはユニークな書籍。 時間があれば目を通すと楽しい。 「天保国絵図で辿る 広重・英泉の木曽海道六拾九次旅景色」 人文社 2001年発行 天保8年(1837)に名古屋で刊行された「國郡全圖」、広重と英泉の中山道の浮世絵、それに現在の地図や写真を合わせた比較できるようになっている。江戸時代の旅人が目にした地図、それに浮世絵で風景を見ることができて楽しい。 ただし、現在の地図に記載されている中山道のルートが非常におおまかだが、どの地点がどの浮世絵なのか明示されているので雰囲気が伝わってくる。 たとえば、浦和宿の英泉の絵では、野中の道から浅間山から煙が棚引くのが大きく見えているので、歩いたあとに見ると現状との大きな相違に目を瞠らされる。また、雪景色の中を旅人が行く絵も多く、単に画材としていいから、というのだけでなく、実際にある程度の交通量があったと思われる。 また、江戸時代の地図は西が右だったり、遠近の距離が不正確なので、当時の人がどのように地理を理解していたのか、推測できておもしろい。 「峠の歴史学 古道をたずねて」 服部 英雄 朝日新聞社 2007年発行 日本中世史が専門であり登山もする著者が、山越えの時、人も動物も通り易いところは同じ峠である、というところに着目している。 街道とは人だけでなく、物流を考えれば、牛馬も通れなければならないこと、現在と違って雨天の排水が非常に重要であったこと、川沿いは土地が崩れ易く、尾根道のほうが無難であったこと、などは確かに街道を歩いていて実感できる。 中山道和田峠と妻籠の脇街道、与川道をとりあげ、歴史を解説している。 「日本交通史概論」 大島 延次郎 吉川弘文館 昭和39年発行 少し古いが、大和時代からの交通史の概略。 江戸時代に関しては、大名行列、茶壷道中、行商、異国人など旅人別にも解説がある。 巻頭にある昭和30年代の写真が既にレトロ。 「江戸の宿 三都・街道宿泊事情」 深井 甚三 平凡社新書 2000年発行 現在の旅館の原型となった江戸時代の宿泊事情を解説。 公用の旅人(大名の参勤交代、武士、公家など)、商人、飛脚などの街道で働く人の宿、伊勢参りなどの講の宿、畑簿、立場茶屋、善根宿(寄進による)など様々な宿泊設備・形態が網羅されている。 なかでも、旅人からみた旅籠、様々な料金や問題などが具体的で興味深い。 「五街道風俗誌」2冊(江戸風俗資料第七巻・八巻) 小野 武雄 展望社 昭和41年発行 1冊目は古代から江戸時代までの交通事情概略と東海道についてを風俗史として解説。 2冊目に中山道の風俗が宿場毎に浮世絵、江戸名所図会、木曽路名所図会などの図を基に解説されている。古い書籍だが、図が豊富で具体的なイメージが湧く。 「日本を知る 道と駅」 木下 良 大巧社 1998年発行 著者は古代交通史の権威。現代でもバイバスや高速道路の建設によって、主要な道路が急激に変化していくが、古代から江戸末期まで中山道(古くは東山道)も常に変化してきている。 そのような変化を捉えるのに恰好の書。また、江戸時代の化ピタン一行の江戸参府の東海道についての感想などが面白い。 「歴史文化ライブラリー 宿場の日本史 街道に生きる」 宇佐美 ミサ子 吉川弘文館 2005年発行 江戸時代の宿場がどのように運営されていたのか、公的な視点、飯盛女などからの視点、助郷など宿場を支える視点、通過した外国人からの視点など複眼的に宿場を浮き彫りにした本。 具体例を引いての解説で、特に川留めについて読むと、東海道に多い川留めを避けるために距離は長くとも中山道が選ばれることがある、というのはよく理解できる。 中山道は当時、橋のない川のうち、船で渡したのは、荒川、簗瀬川、合度川、野洲川で、千曲川、碓氷川など徒渉(徒歩人足に渡してもらう)の川は少なかった。 「江戸時代図誌10 中山道 一」 児玉 幸多・芳賀 登編 筑摩書房 昭和52年発行 武蔵から信濃路までの中山道に関する江戸時代の屏風、浮世絵、絵図、街道の石造物、事物など多くの写真を掲載し、視覚的に中山道を捉えるようになっている。中山道の宿駅などの解説もある。 「江戸時代図誌 中山道 二」 赤井 達三編 筑摩書房 昭和51年発行 木曾路から美濃路までの中山道に関して写真で浮世絵、絵図、街道の事物を紹介。 木曾の五木、近世の木工についての解説もあり、農村を背景にした街道と木曽路の相違を浮き彫りにしている。 史料 残念ながら、近世古文書を読む力はないので、活字になっているものだけ少々目を通した。 「近世交通史料集」五 中山道宿村大概帳 児玉 幸多 校訂 吉川弘文館 昭和46年発行 江戸時代に五街道を管轄していた道中奉行所の調査書。 各宿の高・戸口・地子免許の有無・高札の文言・宿間の道路の担当・本陣などの規模・並木・一里塚・橋梁・道幅などが街道に係わる事項が網羅されている。 多くのガイドブックにある、宿場の規模などはここから引用しているものが多い。 調査の時期は天保14年(戸口)から安政6年(駄賃銭)に及んでいる。 内容を見ると、ガイドブックなどでは判りにくい立場、道幅(しょっちゅう異なる)、当時の宿場の生業(市があるか、住人は何をしているか)などまで記載されていて興味深い。 また、街道の維持が各村に細かく分担されていたことも具体的に判って面白い。 「中山道分間延絵図」 第一巻~第二十巻 解説編付 児玉幸多監修・解説 東京美術 1976-1983 発行 原本は「五街道其外分間見取延絵図」で東京国立博物館所蔵。 18世紀から19世紀初頭にかけて江戸幕府の道中奉行所が実地調査して作成したもの。 東京美術で出版しているのは解説編付なので、見易く、江戸時代の街道の様子が細かく記してあり、当時の状況を彷彿とさせる。 現在の地図や種々の参考図書と比較し、宿場の状況などを把握するのに使った。 (国会図書館で閲覧 高額すぎて、買うなんてとっても!) その他、各自治体・観光協会・教育委員会・NPOなどに事前に資料を送付していただいた。 また、歩きながら駅や観光案内書などでパンフレット類を収集。 宿場について、不明な点は地元の観光案内所・資料館・教育委員会・観光課などに問い合わせた。 |
地図について
2007 / 11 / 16 ( Fri ) 地図は参考資料リストの太字の書籍などをベースに作成しています。
中山道のルートは政策、災害などで再々変更されていますが、今、「旧中山道」と表示されているのは江戸時代後期のものです。 宿場の範囲については、参考資料だけでは明確にならず、それぞれの管轄の観光課・観光案内書・資料館・教育委員会・NPOなど、詳しい人を探して教えていただきました。先方の好意で教えていただいたり、資料を分けていただいたのもあるので、どの宿場はどこに訊いたか、というのはあえて公開いたしません。 今回作成している地図は、できる限りアクセスし易い地点で区切っているため、縮尺は地図ごとに多少違いますが、それぞれに250mの距離、方位を表示しています。 歩きやすいよう、信号名、わかり易いコンビニ、ファミリーレストランなども表示していますが、現地の変更もあるのでご注意ください。 掲載してある史跡に関しては、中山道に直接関係なくとも、位置的に中山道に近いもの、著名なものはできるだけ掲載するようにしていますが、調査・スペースにも限りがあるため、割愛してあるものもあります。(独断と偏見で決めています・・・) また、飲食店については、実際に食事をしたお店だけではなく、現地で地元の人に勧められたお店、歩いていて気になったお店、行きたかったお店も掲載していますが、どうしても掲載に偏りがあります。おいしかった場合のみ、「おいしかった!」と書きました。 以上、ご理解のうえ、地図をご活用ください。 |
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