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甲州道中 53 指月庵から下諏訪宿まで
2011 / 03 / 14 ( Mon )
いよいよ、ゴールの下諏訪まであと4キロ半。時間に余裕があるので、あたりを見ながらゆっくり歩くことにした。
指月庵の先で街道は大きく左にカーブし、しばらく歩くと右手に白山社の石碑、その先には先宮神社がある。このあたりは大和(おわ)の里というらしい。

見ていると家々に温泉のタンクがあるところが多い。タンクの形も様々で古いのも新しいのもある。この地区は個人も温泉の権利を持てるのだろう。

127 温泉タンク 36 民家の温泉タンク 137 民家の温泉タンク 138 民家の温泉タンク 151 民家の温泉タンク

大ケヤキ
このあたりは湖岸からだいぶ高いが、道はゆるやかなカーブがあるもののほぼ湖岸に並行している。街道の両側は落ち着いた住宅が続いている。
やがて道の左手に「甲州街道」の碑と大ケヤキがある。裏側を見るとケヤキの芯はすでに朽ちていて、外側だけが残っている。かたわらには道祖神た祀られている。先宮神社にも大きなケヤキがあったので、このあたりは昔ケヤキが多かったのかも知れない。
大ケヤキから100メートルほど行くと右手に寿量院がある。茅葺の風情のある本堂があり、境内からは諏訪湖が眺められる。
やがて諏訪市から下諏訪町にさしかかる手前にサンリツの駐車場があり、ちょうど何故か御柱がドーンと置いてあった。昨日歩いた上諏訪の諏訪大社の地区ではどこでも御柱が終わった打ち上げをしていたが、ここは下諏訪の地区なので御柱の日程がずれているのだろう。

157 橋本屋(道中茶屋跡)やがて諏訪市から下諏訪町にさしかかる手前にサンリツの駐車場があり、ちょうど何故か御柱がドーンと置いてあった。昨日歩いた上諏訪の諏訪大社の地区ではどこでも御柱が終わった打ち上げをしていたが、ここは下諏訪の地区なので御柱の日程がずれているのだろう。
下諏訪町に入ると道が大きくカーブし、左手、諏訪湖方向が棚田となって眺望が開ける。

下諏訪町に入ってから400メートル余り行くと左手にひときわ立派な橋本屋が往時の佇まいを見せている。ここはかって茶屋だったとは言っても立派な鏝細工の蔵もあり、湖の眺望も素晴らしく格式のある建物が今も残っている。ちょうどイベントを開催中だったので、コーヒーを飲んで一休み。あと少しでゴールだと思うとのんびりしてしまう。

175 赤彦生家橋本屋のところがちょうどちいさな四辻になっていて、双体道祖神が祀られていた。この次の辻には「島木赤彦生家」の案内があった。諏訪湖のほとりには赤彦記念館があるが、生家は見たことがないので立ち寄ることにした。
ほんの少し脇道に入ると左手に立派な茅葺の生家があった。庭の松もよく手入れされていて素晴らしい。昨日歩いた富士見町の富士見公園はやはり俳人の伊藤左千夫の設計で、園内には赤彦の句碑もあったことを思い出し、当時このあたりも俳句のひとつの中心地だったのだろうと思った。江戸時代でも芭蕉や頼山陽などの記録を見ると地理的にも広範囲に交友関係を持ち、頻繁に手紙などをやりとりしている。今日から見ると鉄道にしても時間がかかって不便ではないか、とついつい思ってしまうが、明治・大正となると益々広い地域での交友関係がごく普通だったのだろう。

194 ゴール中山道合流点
さて、街道はゆるやかな下りになり、ちいさな点滅信号の辻を過ぎるとまたカーブする。このカーブのところを石投場といい、昔は湖面がすぐ近くまで迫っていて、ここから石を投げたという。ここには明治天皇駐輦碑がある。左下に諏訪湖博物館・赤彦記念館が見える。また、街道がカーブしてやや上りになって500メートル余り進むと富部(とんべ)一里塚趾がある。いよいよ、残り僅か。しょうわ橋という古びた端を渡るとこの「承和橋」の由来を記した板があり、承和地蔵尊が祀られている。
街道が右手に大きくカーブすると諏訪大社下社秋宮に到着!ここは中山道を歩いた時にも立ち寄っている。鳥居で遥拝して、そのまま角を曲がって番所趾をまた曲がり、ついに中山道との合流点に到着した。
楽しかった甲州道中も遂にゴール!!

今も繁華で開けている東海道、昔の風情を残す努力をしている中山道とは違い、甲州道中はありのまま、田舎の雰囲気も残しつつ、街道の風情を残そうという人工的な手が入っていない良さがあった。ただ、それだけに往時の雰囲気を伝える建造物は少なかったが、ガイドブックにも出ていない古道を案内してくれたり、畑の人参をくれたり、お漬物の漬け方を教えてくれたり、街道で出会った人々が温かでとても楽しかった。
街道歩き、万歳!
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15:53:00 | 甲州道中 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
甲州道中 52 足長神社から指月庵まで
2010 / 09 / 07 ( Tue )
74 街道沿いの家足長神社をすぎても甲州道中はまだ住宅街の中の静かな道を進む。道沿いに道祖神、石仏、観音などがある静かな道で歩きやすい。家々の佇まいも落ち着いていていい。
やがて左手に中央本線の線路が並ぶ。右手には細武温泉共同浴場があり、その前には道祖神・秋葉山石碑、こんぼった石がある。街道はここから600メートルほどで国道20号線に合流する。

商店

国道沿いを歩いていると、古めかしいレトロな商店が目に付いた。昔のままのちょっとゆがんだようなガラスのはまった建具、看板には「ワラ製品 荒物 雑貨 竹材」!!ワラ製品とは!ちょっと見たかったけどガラス戸越しに見えるのは箒、ざる、箕など。もしかしたら今ではワラ製品は扱ってないのかも・・・
その先のお店は呉服屋さんだが、大きく「祭り用品」とある。さすが、御柱祭の地元だと感心してしまった。


元町の信号の右手に霧ヶ峰に登っていく道がある。この向かいにあるのが「真澄」で著名な宮坂酒造。(ただし、この1カ月後、トラックと乗用車が店舗に突っ込んで昔ながらの店舗は破壊されてしまった)。このあたりから国道沿いに酒造が並んでいる。

93 真澄R 102 麗人R 105 舞姫R

店先には杉の葉のまるい飾りがあったり、酒樽が並べられていたり、いい雰囲気だ。ここは山から諏訪湖にかけて温泉が沸いているのと同時にいい水も湧いているのだろう。

さて、元町の信号の角には十王堂があり、ここから斜めの道は裏街道になっていたという。国道20号線は今は道幅が広がり、かっての鍵の手は気をつけてみると鍵の手の信号のあたりにほんのわずかな痕跡があるが、ほぼまっすぐ諏訪の街を通っているが、かってはこの鍵の手を避けてこの裏街道が近道として使われていたという。
かって高札場があったという諏訪1・2丁目の信号を右に入ると左に精進湯があり、その向かいに問屋場兼本陣趾の碑がある。また国道に戻り諏訪1丁目の信号で街道は右手に折れ、裁判所に突き当たって左手に曲がる。裏街道は元町の信号からここまでまっすぐな道になっている。

119 吉田の松ここからはまた静かな住宅地の道になり、200メートルほど行くと右手に吉田の松があり、その先の左手には一里塚趾がある。このあたりの地形は右手の霧ヶ峰から和田峠に連なる山々から、左手の諏訪湖まで急斜面になっている。ふと右手を見上げると脇道が延々と階段。これ、買物帰りには歩きたくないな、と思ってしまった。


123 指月庵
やがて道が右手に緩やかにカーブし、左手に諏訪藩主の別邸だったという指月庵がある。観光案内などにここは予約すれば見学できるとあったので何度か電話して留守電にメッセージを残したのだが、ついに連絡が取れなかった。表の看板を見ても見学ができそうなことが書いてあるのに残念だった。

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甲州道中 51 茅野駅から足長神社まで
2010 / 09 / 03 ( Fri )
3 高台で見晴らしがいい甲州道中14日目。いよいよ、今日12キロ歩いて下諏訪にゴールする予定。殆どが裏道なので歩きやすいはずだし、わくわくしながら茅野駅前の信号をスタート。
今日は上諏訪のどこかおいしそうなところでランチをしよう、と前の晩、友人とインターネットをいろいろと調べて見つけたのが、なんと、スタート地点から3キロほどのところ。そこで、10時にスタートし、早お昼をとることにことにした。(なんという計画だろう!)

さて、茅野関西口からスタートするとこのあたりは国道20号線からはだいぶ高いので見晴らしがよく、杖突峠がよく見える。
上原の交差点で国道20号線に合流し、上原八幡を過ぎる。このあたり、20号線と直角に交合う小路に「原田通」「鍛冶小路」「播磨小路」など名前が付いている。高島城の城下町だったころの名残だろうか。
やがて上原頼岳寺の信号の先、「〒→」のところで甲州道中は右に曲がり中央本線のガードをくぐる。道が左手にカーブしているところの右手に神戸の道標があり、右からくる道と合流する。

27 こんな道を行くここからは住宅街の中を道なりに進んでいくと、すぐ左手に大きな温泉タンク。この地域の人が共同で使えるように蛇口が付いている。

39 洗い場右手に姫宮神社、より茂院などを見ていると今度は右手に共同浴場があり、外の洗い場でも温泉が使えるようになっている。ちょうどこの洗い場を洗っている女性がいたので、話を聞いたら「私はお掃除を引き受けてる」とのこと。きっと昔は地域の人達が共同で維持していたのだろうが、今は管理を任せているのだろう。
それにしてもこんなに家の近くでこんなに気楽に温泉に入れるとはうらやましい。

44 オムライス早々とすでにランチを予定している場所に到着してしまったので、ここで一旦、国道に出ることにする。国道沿いの卵専門店に寄る。お勧めはオムライスだったので、友人と別々のソースがかかっているオムライスを注文。
おいしい!卵がとろけている。それに、このオムライスにはデザートとして卵の殻に入ってちいさなプリンがちょこんとついてきた。これもおいしい!
食後店内の売り場を見たら、卵、プリン、シュークリームなどおいしそうなものがいっぱい。しかし・・・これから歩くから・・・とシュークリームだけ買ってつぶさないようにリュックに入れて街道に戻った。

68 足長神社石段
さて、街道に戻るとすぐ左手に一里塚がある。道なりに住宅を眺めながら歩くと斜面全体が広い庭園になっている家もある。なまこ壁の蔵、白壁の家など落ち着いた道をゆっくり楽しみながら歩居ていくと、四つ辻のところに道標と灯籠がある。道標には「右 大明神(諏訪上社)、左 江戸道」とある。この石造物も実はゴミ集積所の後ろになっていて、何かあるはず、と思って歩かないと通り過ぎてしまいそう。
この四つ辻から下る道を見るとまた共同浴場がある。このあたり、本当に温泉が豊富なのだろう。もう少し進むと霧ヶ峰入口の信号があり、この先、右手の長ーい階段を上ると足長神社がある。
足長神社本殿




この足長神社の長い階段を上っていく拝殿があり、その奥に本殿がある。この本殿は18世紀の建築で、彫刻が素晴らしい。今までも甲州道中沿いの神社の本殿の細かな彫刻は方々で見かけたが、中山道や東海道では本殿の彫刻に気付いた憶えがない。
今までの街道歩きがいい加減だったのか、あるいは甲州道中は鄙びている分、決して有名ではない神社の彫刻に目が行くのか判らないが、これからは神社を見かけたら拝殿ではなく本殿の彫刻に注目するようになるだろう。
これでまた一つ、着眼点が増えて楽しくなった。

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甲州道中 50 木舟信号から茅野駅まで
2010 / 07 / 10 ( Sat )
石仏群木舟信号から400メートルほど歩くと右後ろにのぼるような道がある。ここを上って行くと街道らしく石仏群や五山大権現の鳥居などが残っている。カーブを上りきると中央本線の上を越える陸橋に出る。陸橋と並んで用水路も中央本線のを横切っている。渡ると線路に沿うように左手の道を進む。あたりは水田や廃車野山・変電所があるが、人影はない。やがてちいさくて古い小早川橋を渡り、右手から来た県道に合流して中央本線のガードをくぐり、線路にそって歩いて行くと道がカーブして宮川板室の信号でまた国道20号線に合流する。
この信号の右手に石造物群がある。ここでわたしたちは二人とも勘違い。もうひとつ先の信号の右側にある酒室神社がここ、とこの石造物群を見て思い込んでしまった。ちょうど古びた石段がある・・・でもしばらく誰も上った形跡がないが、それほどさびれた神社なのだろうか??えっちらおっちら崩れそうな心細い石段を上って行くとその先の道はさらに手入れされた形跡がない・・・その上にあったのは戦争中の碑。ううーん!まだ勘違いに気付かず、石段を下りて裏手に回り・・・ようやく、地図を見て気付いた!素直に国道を歩いて坂室の信号で右へ。今度はちゃんと酒室神社が鎮座していた。

国道をすすむここからしばらく国道20号線を歩く。新宿あたりでは片側4車線もあるこの道路もここでは片側1車線で歩道もない。国道というより県道という趣の道だが、やはり交通量はある。
道端には水神が祀られていたり、街道沿いに昔ながらの造りの家があったり。中央高速の下を通り、宮川の信号で国道と別れて右手の県道を進む。

御柱うちあげ街道の左手に三輪神社、奥におかめ神社。街道脇には明治天皇茅野御小休所の碑がある。この三輪神社の御柱博物館の前で、御柱の打ち上げの宴が催されていた。そろいの法被を着るのもきっと今日が最後なのだろう。今年は「御柱まんじゅう」「御柱Tシャツ」だの、御柱の記念品がスーパーでも山積みにされていたが、今日はそのお祭り気分最後の日。

159 諏訪神社鳥居三輪神社の向かい側には古い味噌屋さんがあり、味噌蔵も見物できるようになっていたので、ゴールを目前にして寄り道してお味噌汁をいただいた。

ここからは道なりに歩いて上川を渡り茅野町、茅野駅南の信号を越えて茅野駅前の信号が来ようのゴール。この信号の向かい側には諏訪神社上社の石の鳥居が聳え立っている。今日は距離も短くてとても楽なウォーキングだった。それにしてもやはりこのあたりは諏訪神社の存在感が本当に大きいことをつくづく感じた。


茅野市防火用水槽ふた 下水ふた 諏訪湖流域 下水ふた
今日道路で見た蓋類。「防火水槽蓋」「下水」「諏訪湖流域(の何だろう?)」など。

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21:32:29 | 甲州道中 | トラックバック(0) | コメント(0) | page top↑
甲州道中 49 御射山神戸の一里塚から木舟信号まで
2010 / 06 / 29 ( Tue )
77 山御射山神戸の一里塚から静かな道を500メートルほど歩くと茅野市に入る。遠くになだらかな山々を望み、街道は車の通行量も少なくて歩きやすい。
一里塚から1.5キロほどでまた国道20号線に合流する。国道は交通量が多くて歩くにくい。

やがて金沢橋を渡り金沢宿に入る。街道の左手奥に泉長寺がある。この門前には御伝馬石(おてつきいし)がある。これは往時宿の上下の入口にひとつづつ置いてあり、参勤交代の殿様往来の時に祝役人がここで手をついたという。関所で旅人が手形改めの時手をついた石、というのは時々見たが、役人が手をついた石というのは初めて目にした。泉長寺の隣の金沢小学校の奥に青柳神社がある、とガイドブックにあったので探す。奥??小学校をぐるーっと回ると確かに「奥」にあった。この小学校の門前には独鈷(とっこ)石がある。この石は飯田藩や高遠藩が参勤交代の時に通行する金沢峠から出土したものだという。

国道の金沢の信号の角には金沢宿本陣趾の碑がある。このあたりが金沢宿の中心だったようで、甲州道中分間延絵図によると本陣は上の問屋と隣接し、向かいには問屋場もあったようだ。

さて、今日のお昼はこの信号を右手に入った温泉、金鶏湯の向かいにある食堂でおそばの予定だったので、お昼の休憩をとった。食事ができるのはここ以外はあと1キロ余先にドライブインが一軒あるくらい。山菜のてんぷらのついたざるを頼んだら、山菜がてんこ盛り。とろろそばを頼んだ友人に半分助けてもらったが、それでも普通の天ざるについてくるてんぷらよりも量が多かった。

街道に戻ってまた国道を歩く。街道の左手には往時を偲ばせる建物が2軒残っていた。

94 近江屋 96 曲木の手すり

一軒目は近江屋。出梁作りの木鼻の彫刻が往時を偲ばせる。2軒目はかすかに松坂屋と読める看板が残っている。こちらは出梁作りの曲げ木の格子が美しい。近江屋は明治時代まで茶屋を営んでおり、松坂屋は安政2年に刊行されている「五海道中再建独案内」に旅籠屋として載っている。

99 馬つなぎ石(馬やど前)街道沿いに歩いて行くと右手に由緒ありげな建物がある。ここが元馬宿だった家で家の前には馬繋ぎ石(高さ30cmくらいの小さなもの)がある。街道の向かい側にもやはり馬繋ぎ石がひとつ残っている。この馬繋ぎ石、東海道でも中山道でも気付かなかったが、ここ、甲州道中や信州甲州では、荷物を送るのに問屋場を通す中継ぎをせず、馬に乗せてそのまま目的地まで曳いていく運送業が成り立っていたことによるのだろうか。馬宿はその馬と人が一緒に泊まれる宿でこれも信州・甲州に多かったようだ。
街道は馬繋ぎ石のすぐ先で右手に分かれる。このあたりが枡形跡だろう。角には「左たかとをみち」の道標があるのは、分間延絵図に「道標」とあるのと場所が一致している。そのまま進むとまた道標があり、その先、左手に如意輪観音堂(はりつけ場所)がある。
田如意輪観音堂の先は宮川に橋がなくて渡れないので川沿いに戻るか、道標から野道を国道に進み、金沢橋で宮川を渡り、すぐ川沿いに右手の道を入って道なりに矢ノ口の信号に出る。信号を渡ったところには権現社と権現の森。ここからは左手に田植を終えたばかりでまだ初々しい緑の田を見ながら国道を歩いて行くと右手に中央本線がせまってくるあたり、矢ノ口から800メートルくらいで左手、川の向こうの木立の手前に一里塚趾が見える。
街道をさらに歩いて行くと左手に常夜灯があり、その先に木舟の信号がある。



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